豆腐を咥えて獅子が舞い厄払い~波伝谷春祈祷~

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南三陸町の無形文化財に登録されている「波伝谷春祈祷」。戸倉地区波伝谷集落で約300年以上も続く、風習行事の1つです。毎年3月に行われ、地域住民にとって欠かせない行事です。

300年以上も続く風習行事

戸倉地区のちょうど中間付近にある、波伝谷集落。今回はそこで300年以上も続けられている「波伝谷春祈祷」についてご紹介します。今回、取材に伺ったのは今期から契約講講長になった星和明さん。契約講とは、集落行事の取りまとめや共有財産の管理をしている集落組織です。波伝谷契約講では役員任期が2年とされており、この春の総会で新たに星和明さんが講長に就任しました。星さんは波伝谷春祈祷について「おすっさま(獅子舞)は、子どもの頃から慣れ親しんだ行事だった」と振り返ります。

波伝谷契約講 新講長の星和明さん。普段は海の仕事をしている。

朝晩は冷え込むものの、日中は暖かく、春の植物も芽吹き始める3月下旬に行われている「波伝谷春祈祷」。かつては旧暦の2月15日に合わせて、契約講に所属している人のみで行われていました。しかし、社会の変化と共に契約講としての機能が衰退し講員も減少。平日休日構わず行われていた春祈祷も日曜日に行われるようになり、講員の減少から契約講以外の人も参加できるようにと変化していきました。震災後は、波伝谷春祈祷保存会を立ち上げたこともあり、集落行事の一つとして続けられています。

震災前、春祈祷前日の練習の様子(提供:映画「願いと揺らぎ」監督 我妻和樹さん)

家々の邪気を豆腐に封じ込める

普段、戸倉神社に納められている獅子頭。年に1度、春祈祷が行われる日に神社から降ろされ、家々を周り1年の厄払いをしていきます。震災前は、約80戸あった波伝谷集落。神職や契約講役員、踊り手、お囃子と列をなして集落東境から、徒歩で家々を周っていました。家に着くと神職と役員は座敷へ上がり、神棚を前に悪魔退散と厄払いのお札を供え、祝詞があげられる。獅子は庭先で舞を一つ披露し、大きく口を開けて縁側から家に入り玄関へと抜けていきます。玄関から出る際には、その家で用意した豆腐を獅子が咥え外へと出て、舞を披露します。獅子が大きく口を開けるのは家の中にある邪気を取り込むためと言われており、豆腐を咥えるのは取り込んだ邪気を豆腐へ閉じ込めるためと言われています。

玄関先で豆腐を咥える獅子(提供:映画「願いと揺らぎ」監督 我妻和樹さん)

東から西へ徒歩で移動し、一軒一軒周っていくため西の境に着く頃には夕暮れ時。一行は海へ行き、ご祈祷とその年最後の獅子舞が行われます。この時、獅子は口を大きく開けて舞い1日で取り込んだ邪気を海に向かって吐き出していきます。ご祈祷を終えると獅子は舞をやめ口を閉じ、翌年まで決して口を開くことはありません。

震災前、西境での舞の様子(提供:映画「願いと揺らぎ」監督 我妻和樹さん)

「波伝谷の人にとって欠かせない行事」

星和明さんは、小さいころから装束に身を包んだ大人達の姿を見てきたことで「自分もやらなきゃ」と思ったと若き頃を振り返ります。「祭りではないけども、お酒を飲んで部落の人達と楽しむ、波伝谷の人にとって欠かせない行事」だと言う星さん。中には集落は離れたけど、わざわざ都合つけて行事に参加してくれる人もいると話していました。

そのため、子どもや講員の減少など課題はあるものの「この先10年はまず大丈夫だろう」と話す星さん。なぜなら波伝谷で生まれ育った子ども達が大人になり、行事に参加してくれているからだと誇らしげに話してくれました。

震災後、復活を遂げた春祈祷の様子(提供:映画「願いと揺らぎ」監督 我妻和樹さん)

地域の大人を見て育ち、郷土愛が育まれる

波伝谷集落は、東日本大震災により壊滅。約80戸あった家々も、震災後はおよそ半数の43戸になってしまいました。しかし、人々の想いが形となり震災から僅か1年後には復活を遂げた波伝谷春祈祷。集落に残る人に限らず、離れていても想いをもった人達がいたから復活を遂げることができたのかもしれません。それも小さいときから、行事や地域の大人達を見て成長する中で、自然と育まれてきた「郷土愛」なのかもしれません。そして震災時、子どもだった世代が成長し、次の担い手として行事に参加しているのも事実です。今の子ども達がこの姿を見てどう想い、成長していくのか。この先も何世代にも繋がれていくことを願います。

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