シリーズ 入谷は民話の宝庫なり 第3景 巨石~坂の貝峠

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目的地「巨石の森」からの戻り道、神行堂山の中腹からはこんな光景が広がります。正面奥にはスタート地点『ひころの里』があるはずなのですが、押舘集落までしか見えませんね。ここから歌津・払川地区に向かう峠道があるので、登ってみることにします。

道のわきにも巨石?!

「巨石の森」出口から登ること数分、道端に大きな石がゴロゴロと…。細長いものや丸いものなど形は様々ですが、看板には「なまこ石」と書かれています。そう言われれば海のナマコのようにも見えますが。

*言い伝え(坂の貝峠・なまこ石)

けど(街道)を歩いていた旅人が、一服すっぺって(ひと休みのつもりで)腰かけた大きな石が、突然揺れたりめろめろめろ~って動き出したりと驚かされたんだと。 そのたんび(度)に「はっはっはっ」と大きな笑い声が土の中から聴こえてきたんだとさ。ふもとの集落に住んでいる侍が、「化け物石のせいで旅人が難儀するのはダメだ。おれが退治してやんねげねぇ(やらねばならないだろう)」と言いながら旅人のふりをして峠登ったと。そして石に腰かけたっけ、ぐらぐら~と揺れたからすぐ立ち上がった。そしたらその石がめろめろめろ~って動きだしたので居合抜きに切りつけたらばっくり二つに割れたんだと。

それからは、もう旅人を驚かすようなこともなく、もとの御影石に戻ったんだと。

民話はここで終わるのですが、この峠道を整備するようになったころに、道路工事の作業員が引っ張られるような感じがしたり体調を崩したりしたことがあったそうです。そこで、その大きめの石を一か所にまとめて工事の安全を祈願したそうです。それからは、事故や体調不良を訴える人もなく工事も無事に終了したことから、割れた石が昔のように合わさって喜んでいるのかもしれないなと話す地元の方もいらっしゃいます。

なお、退治したのは侍という話の他、ダンポさん(警察官)だったという説など、様々あります。

ちょぺっと寄り道…金次郎仏

なまこ石が置かれているところからわずか数メートル、「金次郎仏」と書かれた板看板が建っています。看板の奥には小さなお墓のようなものがありますが、薄暗く足元も悪いので踏み入れられませんでした。ここには、哀しいお話がありました。

*言い伝え(坂の貝峠・金次郎仏)

入谷中の町(鏡石)に大繁盛の染物屋があってな、気仙から金次郎という若者が奉公に来たんだと。金次郎はとっても真面目でよく稼ぐ男で、技術をしっかり覚えてお金も貯めたんだと。何年か後、気仙に帰って染屋を開く事を決めたら、旦那さんも女将さんも喜んで祝儀まで出してくれたと。お世話になった人たちに御礼語って、その人たちに見送られて意気揚々と坂の貝峠へ向かった。民家が途切れた石の平を過ぎたあたり、ほっかぶりして目だけ出した男がやぶからぼっぽら出はった。

「やい、有り金全部置いていきな!」「な~に、てえした銭もっていねえ」「いやいや、歩く姿でわかるんだ。同巻きさ、いっぺえ入ってるはずだ」「だ~れ~、長い事一生懸命に働いて稼いだお金だ。気仙に帰って店ば開くんだおん、なんとしたっておめさやれね!」

金次郎は山賊相手に必死に抵抗した。山賊は聞く耳持ってなくて金次郎を刃物で刺し殺してしまったんだと。そんな悲惨な事件に村の人たちが可哀想だと言い、その場所に金次郎を埋めてモミの木を植えたんだと。話を聞いた染物屋の人たちも仏石一本刻んでお墓を建ててねんごろに弔ったんだとさ。

「うなぎは水を汚して潜って逃げた。それからその辺の井戸水は濁ったままだ」という民話もあります。

恐怖伝説・血の池

金次郎仏から急に上り坂になる坂の貝峠。何回かカーブしていくと、道の右側の林に「血の池」と書かれた板看板が建っています。「血の池」とは、何ともおどろおどろした名称で、その由来を聞くのもちょっと覚悟が必要になります。

*言い伝え(坂の貝峠・血の池)

入谷に住むある男の人が、親戚に法事があったので歌津に出かけたんだと。

その頃の法事はだいたい午後に開かれていたから、帰りは暗くなると思い、膳の湯(蕎麦湯)も飲まず急いで峠を越えたんだと。小さな池のふちを歩いていたら、一人の男に声をかけられたんだ。

「そば食ってきたか?」「うん、戴いて来すた」「膳の湯は飲んできたのか?」「いや~、遅くなっと悪いから飲まないで来たでば!」

そしたらその男、正直に語った村人を襲って腹ば引き裂いて胃袋からそばを取り出して池で洗って食ってしまったど。そのせいで池の水は真っ赤に染まってしまった。それから、村では【そばを食ったら膳の湯を飲むもんだ!】と言われ続けたんだと。

血の池があったとされる林の反対側には、小さな沢があります。この峠を越える方にとって貴重な水分補給できる休み場になっていたはずだとも教えていただきました。

坂の貝峠は、視界良好の「山がんの里」

神行堂山・坂の貝峠を越えた先は歌津・払川となり、峠からは遠くに太平洋も臨めます。入谷側を振り返ると一段と立派にそびえる童子山と戸倉に続く分水嶺の山脈が広がります。入谷で聴いた怖い話や哀しい話は、戒め・教訓なども含まれていましたが、地形や人々の暮らしも垣間見える民話として後世に伝えたいものです。

峠道は、自動車も行き交うように平成13年に拡幅・舗装され整備工事が完了しました。峠のてっぺんには「山がんの里」という広場ができて、展望台と四阿も作られました。完成記念として、当時の町長や地元選出国会議員などの関係者そして地元林際小学校児童たちが植樹した、ぶな林が「木漏れ日の道」を醸し出しています。

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