シリーズ 入谷は民話の宝庫なり 第2景

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入谷押舘から下ったせせらぎ(桵葉川)のちょっと上流に行くと入谷三山のひとつ「神行堂山」がはっきり見えてくるポイントがあります。地域住民が管理する水仙ロードとして美しい光景が、代掻き作業が終わったばかり田んぼとのコントラストが美しい春浅いころでした。

ちょぺっと寄り道…水車小屋

ひころの里から重ね石まで寄り道しながら歩いてきた前回。今回はその続きを歩いていきたいと思います。

重ね石(続石)のちょっと上流、神行堂山方面との分岐点近くに水車小屋があります。志津川町が、平成17年4月に整備した『せせらぎ水土里公園』。この中では水車を使った精米も行っているそうです。

農村では過疎化や高齢化が進行しており、かつては普通に機能していた集落の力が弱くなってきました。美しく快適な農村空間を維持していくためには、そこに暮らす人々が主体的にその役割を果たしていくことはもちろんのことですが、このままでは農業が果たしてきた重要な役割が機能されなくなる恐れがあります。人と自然が共生する田園風景は、日本人の心の原風景となっています。略 この公園は、自然とのふれあいを通じた環境教育、情操教育の場や、美しい景観を活かした憩いと交流の場として整備しました。土の臭いやその感覚、せせらぎの音やそこに息づく生き物たちを五感で感じながら、豊かな心を育んでもらいたいと考えています。

『せせらぎ水土里(みどり)公園』案内看板より抜粋

峠に現れる美しい水仙ロード

校舎の宿・さんさん館(旧林際小学校)の手前を右折します。今回目指す巨石は神行堂山の中腹にあるので山の神平方面に向かいます。

入谷を象徴する最高峰461mの山。神行堂という山名の由来は山岳修験に関わるとされ、高野山や弘法大師ゆかりの逸話があるそうです。

この【木もれ陽の道】と称される峠道には、地域住民が管理する水仙ロードがあり、春先には見事な光景を作ってくれます。車を降りてゆっくりのんびり散策するのもお奨めです。

スイセンの花が一段ときれいに咲き誇るところに『石の平方面』と書かれている看板があり、左折するよう促しています。

ずっと昔、みすぼらしい一人の僧がこの地を訪れて「ここは景色も良いし、お寺を作りたい」と言い、村の人たちに資金を出してくれるようにお願いした。

が、なかなか援助してくれる人はなく、僧は四角い大きな石で座禅を組んでは村を廻って仏の道を説いて歩いた。さすがにお寺作りが無理だと断念したとき、ずっとお世話してくれていた家人に「守り神の大石を形見に残す」と言い、さらに小さな独鈷と薬研を授けた。 そして別れ際に、「ここで不自由なことはないか?」と尋ねたら、家人が「ここには大きな川もないし、山も高い。水が不足している」と呟いた。「分かった」と言って僧は帰った。後日、僧が座禅を組んでいた形見の大石の根っこから、きれいな水が湧いて出たんだと。その僧が弘法大師様で、この神行堂山に普請を諦めて紀州に高野山を開いたとも言われる。

注)
独鈷(どっこ)・・・密教で用いる仏具の一つ。中央に握りがあり、両端がとがっている。
薬研(やげん)・・・漢方の製薬で用いる道具。舟形の容器とそのくぼみを滑動する円盤。

地域の方から聴き取りましたが、一部『入谷ものがたり』を参考にしました。民話や言い伝えには諸説あります。

ついに巨石へ到達!

石の平の集落の奥に、目指す巨石への入り口を見つけました。小さな駐車場があり、そこに車を停めてちょっとだけ森に入ります。

弘法大師がここに寺を開こうとしたので、神行堂山は別名高野山とも言われます。中腹には、いくつもの大きな石があり、最も巨大な岩は三つに割れています。人の力で加工したものではないようです。

高野山の大石の下に深~い穴があり、大蛇が棲みついていたんだと。「これは弘法様に巣くった蛇、神様のお使いだ」と村人誰もがそっと見ているしかなかったんだと。それを良いことに、その大蛇はニワトリやウサギ、お蚕さんまで襲うようになり、家の中にまで入って来るものだから、童(わらす)たちもおっかねがって村人も仕事にならない日が続いた。
「神様の使いだったら悪さするわけねぇ、この蛇は神様に退治してもらうべ」村人はお供え物を持って何度も高野山に願掛けに行った。
満願の日、大蛇が出てきたので、村人は鋤や鎌で取り囲んだ。大蛇は大石の上で鎌首もたげて村人をにらみ続けた。「このままではまた穴の中さ逃げられる」と思っていたとき、急に黒い雲が湧いて、なんだもねえでっかい音で雷が落ちた。その雷で大蛇は真っ二つになって死んでしまい、大石は三つに割れてしまった。『自分の体を割ってまで大蛇を退治したんだから、この石が神様なんだな」
村ではその後、この巨石をご神体として祀り続けたんだと。

三つに割れた巨石の割れ目(亀裂)にはこんな話があります。

「昔、成人に達した男女が社会人の仲間入りになるときに、通り抜けなければならない儀式があった」

「善人は通れるが、心に邪念がある人は途中で挟まって通り抜けできない」

とも言われています。現在では、どなたでも挑戦できます。さて、あなたは通り抜けられるでしょうか?!

弘法大師とされる僧が座禅を組んでいた形見の大石がこの巨石ではなかったのか?!とも想像されますが、神行堂山にはもっともっと怖い言い伝え(伝説)があります。峠に向かってみましょう。次景につづく。

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