「地域を学ぶ勉強会」お宝8ミリフィルムで蘇る 昭和40年代の家づくり

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復旧・復興工事が日々進む南三陸町。
未だ仮設住宅での暮らしを余儀なくされている方も、順々に高台移転地への引渡しが
おこなわれています。
新しい家は、待望の安息地となることでしょう。
対して今回は、少し昔にさかのぼり、昭和40年代の家づくりのお話です。
入谷のとあるお宅から、貴重な8ミリフィルムが何本か発見されたそうです。
そこに映っていたのは、昭和52~53年頃、そのお宅を建築した際の様子を記録した映像でした。
この映像を観ながら当時の家づくりや「結い」の姿について学ぶ「地域を学ぶ勉強会」が
開催されました。(主催:一般社団法人南三陸研修センター)
会場のいりやどには、当時の様子をよく知る人から、当時まだ生まれていなかった人まで、 
50人を超える方々が集まりました。
解説と進行は、入谷出身のヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進員)・阿部正さんです。
上映前、かつては上棟の際には必ず見られた「謡い」が、現役の大工さんである佐藤雄一さんから
披露されました。
現在ではハウスメーカーによる住居建築が多くなり、
こうした伝統的な儀式もほとんど見られなくなりましたが、
年配の方々にとっては耳慣れた唄でしたので、方々から一緒に口ずさむ声が聞こえてきます。
映写機のパタパタという温かい音とともに、セピア色の、これまた温かみのある映像が映し出されます。
映像には、山から木を伐り出し、製材、乾燥していく工程から、旧家を取り壊し、新しい家を建て、
内装を整える場面、そして新築祝いの宴まで、半年以上に及ぶ家が建つまでの様子が、
およそ1時間半にわたり記録されていました。
驚くべきことに、これらの過程のほとんどすべてが、
町内の大工・左官・建具などの職人を中心に、地域の人々の手によって行われます。
つまり地域の素人たちが、屋根に上り、材を担ぎ、木槌を振って建てられた家だということ。
誰かの家で新築があれば、あるいは屋根の葺き替えがあれば、手伝いに行くのはあたり前。
報酬は賄い食とお酒。また、手伝った分だけ自分に手伝いが返ってくるわけです。
この辺りには「契約講」という習わしが未だ残っていますが、地域と“契り”を交わし、同じ契りの仲間たちで助け合って暮らしていく。
現代社会では、特に都市化の進む地域では、ほとんどこうした姿が見られなくなりましたね。
本来であればこれだけの人数が関わって家を建てれば、お金もかかるはず。
「かなり安く建てられたこと」が、それだけ地域の人たちが助けてくれた・関わってくれた、という
家主さんの一番の自慢なんだそうです。
また、多くの地域の人が関わることで、大工も手を抜いた仕事はできない。
人の関わりが家をより良いものにし、また職人を育てたと言います。
昭和40年代の日本といえば、高度経済成長期真っ最中、住宅の団地化やニュータウン化が進んでいた時期でした。
それでもまだ「町内会」や「町内清掃」、「地区の盆踊り祭り」などの集落のつながりは、
かろうじて残されていた時代です。
私たち南三陸町民は、あるいは日本人は、大きな災害を経験し、人と人との関わり・助け合いの豊かさ、重要性に改めて気づかされました。
たまたま発見された家づくりの8ミリフィルムは、私たちにもう1度それを教えてくれました。
(藤田)

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