輝く生命(いのち)の物語 〜行山流水戸辺鹿子躍〜

躍動感あふれる舞を繰り広げるのは、300年の歴史を誇る「行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)」。南三陸町を代表する郷土芸能であり、町内外多くの場で披露されています。今回はこの鹿子躍の継承者として20年以上に渡り、情熱的に活動を続けてこられた村岡賢一さんにお話を伺いました。

行山流水戸辺鹿子躍 その系譜

(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

旧伊達藩北部に伝わる「行山流鹿子躍」は、水戸辺村住人であった伊藤伴内持遠が元祖とされています。仙台藩主三代目の御前で演じたところ「行山(珍しい)なる躍り」と讃えられ、伊達家の九曜紋を拝領し、以来、行山流を名乗ることとなったと伝えられています。

発祥の地である南三陸町戸倉水戸辺地区ではかつて地元の人々は木を切り、炭焼きで生計をたててきました。鹿を模した躍りが生まれたのも、山の民の暮らしが起源であるとされています。演目は多岐にわたり17の場面と32の章目に分かれ、これを8つの躍りで体現しているのだそうです。

行山流拝領の後、5代目の継承者以降、水戸辺地区における鹿子躍の継承は途絶えてしまいましたが、昭和57年に高台の土中から享保9年銘の躍供養碑が発見されたことから復活の機運が高まり、平成4年に復活となりました。その後東日本大震災の被害により一時期継承が危ぶまれましたが、関係者の努力と多くの方々の支援により、震災から2ヶ月後には活動を再開しました。(ページ下部に年表記載)

保存会会長 村岡賢一さんインタビュー「鹿子躍との出会い〜苦悩の日々」

(写真提供:行山流水戸辺獅子踊保存会)

南三陸町戸倉の水戸辺地区在住の村岡賢一さん。カキ・ホヤ・ホタテなどの養殖漁業を営む傍ら、鹿子躍保存会の会長を26年務められています。村岡さん自身の鹿子躍との出会いは今から35年前、昭和57年のことでした。岩手県一関市の方から「舞川鹿子躍(岩手県郷土芸能)に伝わる巻物があり、鹿子躍発祥の地が『本吉郡水戸辺村である』という記述がある」との話が舞い込んだのです。早速、高台の土中を調べたところ、その通り石碑(躍供養碑)が発見されたのだそうです。その後岩手県三ヶ尻の保存会の方が南三陸町で舞を披露していただいた際に、村岡さんは、鹿子躍に出会いました。

「そのときに初めて鹿子躍の舞を見たんですけど、すごい躍りがあるんだな、とびっくりしました。そして、水戸辺にもこの躍りが昔伝わっていたんだなと考えると、大きな衝撃を受けました」

その後、地域内で「鹿子躍を復活させよう」という話が持ち上がります。それから約10年後。平成3年に村岡さんの元へ、「資金の目処がつきそうだからやってみないか」という話が持ちかけられることとなります。ここにはじめて「行山流水戸辺鹿子躍保存会」が発足したのです。

「さっそく、岩手県の舞川の方々をたずねたんですよ。そうしたら舞川の皆さんが衣装を揃えて待っていてくださってね。『喜んで本家返しをさせていただきます』と」

こうして、舞川鹿子躍保存会の方々を講師として迎え、10日間の練習が開始されました。練習は19時〜21時の2時間。最初は20名いた参加者も、一人減り二人減り、10日間の練習を終えた時には、6名まで減ってしまったそうです。とはいえ道具も発注してしまい後戻りはできません。

「自分が覚えてしまわないと、これは空中分解してしまうという危機感があったんですよ。毎日、ビデオ見て1時間練習してね。どうしても覚えられない動きがあったんです。何度やってもそこでつっかえてしまう。でもある日、その動きがフッとできるようになったんですよ。そこからは一気に覚えることができました。周りにも驚かれ『伊藤伴内が乗り移ったんじゃないか』と言われました」と村岡さんは振り返ります。

その後6名だったメンバーもなんとか規定の8名になり、免許皆伝審査に向けた週2回の練習の日々が始まりました。審査日前に、公民館でお披露目する機会が設けられ、多くの地元の方々に喜ばれたそうです。平成4年には、村岡さんの元に小学校の先生から「子どもたちにも教えて欲しい」という依頼が入ります。

現在の練習風景 戸倉公民館にて(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

「それからはもう『子どもたちの踊りが見たい』とひっぱりだこでね。子どもたちに教えなければいけないから、大人も一生懸命に練習したんだね。ここで良い相乗効果が生まれた。この出来事が、今日の鹿子躍をつくりあげた要因だと、私は思ってる。そうしていくうちに、中学生、高校生が半分入る体制になったんです。郷土芸能は続けることが大事だから、子どもたちに教えるということを、休んではいけないんだね。それには、大人がいつでも教えられるようにしていないといけないね」と村岡さんは話します。

(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

鹿子躍にかける2つの想い「供養」と「復興」

2012年8月28日テキサス・レンジャーズ アーリントン球場にて(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

海外公演など町内の枠を超えて精力的に活動されている、その理由についてうかがいました。

「鹿子躍は、雄鹿が世の中に出て一人前になっていくストーリーのなかでふたつのテーマがあります。一つ目は『供養』。例えば動物や魚、人間はそういったものから命を頂いて生きているわけで、感謝をもって供養する気持ちを持たなければいけない。もう一つは『子孫繁栄(生命の創造)』。撥(ばち)と太鼓は『男と女』の関係。うまく叩くことで新しい命が生まれる。それはすなわち『復興』ということだと考えています。一つの躍りの中で『供養』と『復興』という二つの祈りを体現できる。これは鹿子躍でないと、できないことなんですよ」

2017年6月24日 さんさん商店街で行われていた結婚式にて(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

「海への感謝と町への想い」

(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

長年担い手として鹿子躍を支え続けてきた村岡さん。最後に、水戸辺を通じた「南三陸町への想い」についてお話をうかがいました。

「鹿子躍は山の躍りのようだけど、遥かな海を渡ってきた『海への感謝の躍り』だと、私は思ってるんです。私としては『海』があったからこそ、水戸辺の鹿子躍は生まれてきたし、続いてきたと思ってる。私自身海が好きだから、他のところで暮らすなんてことは考えられない。時には津波や時化でやられても、家族を養ってくれる。人間の力は本当に小さいもので、たまたま生かされているだけ。いろいろな人や環境の支えがあって今があるということを意識しないといけないよね」

村岡さんと水戸辺漁業仲間の方々(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

ライターより

ひとつの郷土芸能の2回の復活と継承の担い手として、妥協せずに、町の文化と向き合い続けた強い方であると感じました。これからも信念と覚悟を持って、時には海のように厳しく、時には海のようにあたたかく、地域を見守っていかれるのだと思います。最後に、村岡さんからお聞かせいただいた一つの秘話をご紹介して、今回の記事の締めくくりとさせていただきます。

「…鹿子躍の衣装には『流し』(衣装の首の部分にある帯状の布)と呼ばれる箇所があって、一関と南三陸町では色が違っているんです。舞川は「黒」、そして水戸辺は『青』なんです…」

その『青』は、海への大きな感謝と祈りが込められた、深い深い、生命の色。

海とともに生きる誇り高き人々が織りなす、輝く生命(いのち)の物語。それが行山流水戸辺鹿子躍なのです。

(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

年表

1688年~1703年(元禄年間)

登米領(現在の登米市)伊達式部宗倫召し抱え本吉郡水戸辺村住人「伊藤伴内持遠」により鹿子躍と名付け創作される。水戸辺鹿子躍は「行山流」を拝領。

(5代目の入谷四郎兵衛以降は、現岩手県一関市舞川へ引き継がれる)

1930年代

太平洋戦争の影響により20年間活動休止。

1957

舞川鹿子躍 活動再開。

1982年(昭和57年) 

行山流水戸辺鹿子躍 躍供養碑(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

                  

舞川鹿子躍に伝わる巻物より、発祥の地が本吉郡水戸辺村であることが判明。

裏付ける石碑(享保9年・1724年「躍供養碑」)が水戸辺地区より発見される。

1991年(平成3年)

行山流水戸辺鹿子躍保存会 発足

1992年(平成4年)

慈眼寺 踊供養奉納(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

菩提寺である慈眼寺で躍供養を奉納(復活の庭揃え)

1993年(平成5年)

舞川鹿子躍保存会の指導の元、免許皆伝の庭揃えを行う。

2002年(平成14年)

南三陸町無形文化財 指定

2011年(平成23年)

東日本大震災直後の水戸辺地区(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

東日本大震災により衣装、道具等 流失。

同年(2ケ月後)   

登米市「葉桜まつり」にて復活の演舞披露

2012年(平成24年)

テキサス・レンジャーズ アーリントン球場(日米フレンドシップセレモニー) の他、3箇所にて公演実施。

その後も公演依頼を積極的に受け精力的に活動

2016年(平成28年)

行山流の共演「墓躍」(写真提供:行山流水戸辺鹿子躍保存会)

舞川鹿子躍保存会による水戸辺地区供養碑のお参り

(御礼参り)実施。同年、第6回三陸海の盆in南三陸にて、

舞川・水戸辺両地区の行山流鹿子躍の共演が実現。

 

<11月8日放送>みなさんぽ

今週のみなさんぽは、南三陸で椎茸栽培を行っている株式会社椎彩杜の常務・高橋浩幸さんにタイトルコールをいただきました〜!そして、インタビューでは南三陸の移住について南三陸町移住支援センターのプロジェクトマネジャー・片山真平さんにお話を伺いました。

オープニング

南三陸町志津川にある椎彩杜にお邪魔しました。手軽に椎茸を楽しむことができるさまざまな加工品も手がけています。そんな椎彩杜自慢のしいたけ料理を高橋浩幸さんが用意してくださいました!

用意してくださったのは、間引きした小さい椎茸のペペロンチーノ。今後、定番化していきたいという想いもあって料理開発をしているとのこと。うまみがギュッとつまっていて、洋風アレンジも見事な一品でした。

インタビュー

今週のインタビューは、「南三陸町移住支援センター」におじゃましてプロジェクトマネジャーの片山真平さんにお話を伺いました。

南三陸町への移住を考えている方や、移住した方の定住支援なども行っている場所です。

開設以降、支援センターのさまざまなサポートを利用して、10組14名の方々が移住されました。

「南三陸町へ移住を考える方を支える存在になっていきたい。また、移住される方を募るためにいろいろな提言ができる存在にもなっていきたいですね」と片山さんは話します。

HPでは実際に移住された方のインタビューなども掲載されていますのでぜひご覧下さい。

【南三陸町移住支援センター】
■受付時間:9時〜17時 ※曜日によって開設場所が異なりますのでご注意ください
■月・木・金・日曜日…南三陸町第三庁舎1階
■土・祝日…南三陸ポータルセンター内
(定休日は火曜・水曜・年末年始
※火・水曜が祝日の場合は次の開設日が休みになります)

HPはこちら http://www.minamisanriku-iju.jp

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

パソコンやスマホでラジオが聴けるradikoでは、過去1週間以内に放送された番組を後から聴くことのできます。残念ながら聞き逃してしまったという方はぜひこちらでお聞きください!

http://radiko.jp/#!/ts/DATEFM/20171108125459

南三陸ワインが町おこしの起爆剤に!/藤田岳さん

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第18弾は、埼玉県から南三陸に移住し、ワイン造りに励む藤田岳さん。なぜ南三陸でワインなのか?そこには町を盛り上げたいという想いが詰まっていました。

埼玉から移住した若者がワインで農業振興

南三陸の豊穣な海を育む豊かな里山がある入谷地区。かつては産金で、そして養蚕によって栄えたその地に、新たな名産が生まれようとしている。それは「南三陸ワイン」だ。町の特産でもある海産物とのマリアージュを目指し、このワインプロジェクトを仕掛けるのは、埼玉県から南三陸に移住し、2016年から地域おこし協力隊として活動している藤田岳さんだ。

人口減少や高齢化が加速する南三陸町。各産業において担い手不足が叫ばれているが、農業において特に顕著になっている。南三陸町の農業従事者のうち、専業農家は1割未満。さらに、50歳以上の農業人口が75%以上を占めるなど高齢化の波が襲っている。そして、豊かな里山には遊休農地とよばれる、耕作されていない畑や田んぼが目立つようになってきた。

「南三陸町に豊かな海があるのは、森や里山がしっかりと管理されていたからこそ。ワインブドウの栽培と、町産のワインの醸造によってこうした地域課題解決の糸口を見出そうとしているのが南三陸ワインプロジェクトです」

入谷地区の里山を見下ろす見晴らしのよい山腹にブドウ畑はある

遊休農地を活用し、ワイン用ブドウの栽培をスタート

藤田さんは、2016年にワイン用ブドウのソービニョン・ブラン100本を試験的に植樹。さらに仙台市太白区秋保でワインを醸造する「秋保ワイナリー(仙台秋保醸造所)」の協力を得て、研修を受け、ブドウ苗の栽培技術の習得にも努めてきた。

そして迎えた2017年。南三陸ワインプロジェクトが本格的にスタート。4月23日にはプロジェクトのキックオフイベントとして植樹祭が開催された。

「町内外の約60名が集まってくださり、白ワイン品種のシャルドネの苗木500本の植樹を参加者とともに行いました。たくさんの方々の応援を感じるとともに、大きな期待を寄せられていることを実感した」

子どもから大人まで楽しみながら植樹を行った。「収穫が待ち遠しい」という声も

「ブドウを植える畑は遊休農地を活用。土づくりにも可能な限り町内資源を有効活用したいと思っていた」と話す藤田さん。各家庭や事業所から出た生ごみから作られた液体肥料を使い、水はけをよくするために、廃棄される牡蠣殻を暗渠(あんきょ)として使った。

さらに、栽培された苗木を覆うようにスレート石(硯石)を使用。このスレートは明治ごろに旧志津川高校の屋根として使用されていたものを再活用している。

ワイン作りを通して、これまで価値がなかったものに、価値を見出していく。それは農業の活性化だけではなく、地域の資源循環、そして地域ブランドの向上にもつながっていく。それが藤田さんの狙いだ。

町のさまざまな産業への波及効果も期待

このプロジェクトは、ブドウの生産という一次産業、ワインに加工するという二次産業、そしてワインの流通という三次産業を組み合わせた、いわゆる六次産業化の取り組みである。しかし、それ以上の波及効果を期待していると藤田さんは話す。

「牡蠣やホタテなど世界三大漁場が生み出す豊かな海産物が南三陸にはある。それらに合うワインが誕生することで水産業や飲食店をさらに盛り上げていきたいんです。さらに、ワイナリーを目的にしたワインツーリズムの可能性もある。そうすると、水産業や飲食店だけではなく、宿泊業や旅行業、運送業などさまざまな産業への波及効果を期待できると思っています」

「みんな」でオリジナルワインの夢を実現

単純な六次産業化や農業振興ということだけではなく、各産業の起爆剤となる可能性を秘めている。だからこそ、多くの人々がこのプロジェクトを応援するのかもしれない。

ワイナリーの建設も目指し、プロジェクトを応援するサポーター会員制度。オリジナルラベルの白ワインのほかに、国際認証を取得した南三陸産牡蠣、同じく国際認証を取得した南三陸杉を用いたワイングッズなどが返礼品となっている。

「今年開始したサポーター会員制度は既に50人ほど会員となっていただいています。さらに昨年からこれまでボランティアに訪れてともに作業をしてくれた方は〇〇〇人以上にのぼる。多くの人に応援してもらいながらいっしょに、南三陸でワインを作るという夢を叶えていきたい」

南三陸産ブドウが実るのは早くて2年後。「東京オリンピックのときにオリジナルのワインを飲みながら応援したい」と藤田さんは夢を語る。多くの仲間とともにはじまった挑戦。南三陸の名産誕生に向け、大きな一歩を踏み出した。

仙台市の「仙台秋保醸造所」の協力を得て、オリジナルの白ワインの第一号が11月に完成

インフォメーション

南三陸ワインプロジェクト

HP:https://www.msr-wine.com/

Facebook:https://www.facebook.com/msr.wine/

e-mail:info@msr-wine.com

走らないけど盛り上がる!?10年ぶりの運動会

秋雨前線も一休みした土曜日、「走らないミニ運動会」と称したちょっと変わった住民運動会が開かれていました。住民が自ら企画したこの活動を取材してきました。

走れない人も走れる人もみんな一緒に

秋晴れの空高い10月14日(土)、まもなく完成後1年を迎える志津川地区東団地の広場からは賑やかな歓声が聞こえていました。

「走らないミニ運動会」は住民で結成された実行委員会が主体となり開催した催しです。 (仮)地域ささえあいいモールの運営にかかわっている住民と社会福祉協議会を中心とした町内の団体、組織が協力して企画をしました。

以前は行政区ごとに住民運動会が行われていたそうですが、途絶え、震災もあり約10年お休みした運動会。怪我の防止と誰でもみんなが参加できるようにとの思いから凝らした工夫が「走らないミニ運動会」だそうです。

この日は前日の雨が嘘のような秋晴れで、会場には町内から集まった75名の参加者と運営スタッフ、ボランティアの学生さんなど、100名以上の人が中央広場にあつまり、賑わっていました。

参加者の募集はチラシを各施設に設置したり、町の広報に挟み込み呼びかけました。当日集まった大半が東団地の住民ですが、中には戸倉地区からいらした方やお子さん連れの若い家族の姿もあり、参加した方は割り振られたチームでそれぞれに交流を深めていました。

白熱する競技!自然とあふれる笑顔

チームは赤・青・黄色の3チーム、大きな声をあげ応援。ポンポンを握る手にも力が入ります。

競技は輪投げ、ボール渡し、グラウンドゴルフ、ビッグボーリング、玉入れの5種目。

走らない運動会と聞いて、失礼ながら動きが少なくお年寄りが多い地味な運動会なのだと勝手なイメージをしていましたが、見て驚きました!会場は大盛り上がり!!

「もうみんな聞いてよ~~~!」と声を張り上げる司会進行の女性。みんなが盛り上がりすぎてルールを聞いてくれない~とお困りの様子。それを見てまた笑う参加者のみなさん。運営のサポートをするみなさんも様々な演出で盛り上げてくれます。

年齢も性別も関係なくみんな夢中。一番驚いたのはお年寄りの方々のパワー。開会式前とは別人、3倍位身軽になって、走らなくてもいいというのにみなさん元気に動き回っていました。

あちこちで歓声が上がり、見ている私もつい声を上げて笑い応援してしまいました。エネルギーと笑顔いっぱいの活気ある運動会でした!

それぞれの想いとこれから

ポンポンがボロボロになるほど熱狂的に応援していた女性たちに声を掛けました。この団地にお住いのお二人は競技の進行に一喜一憂。

「思わず夢中になっちゃうね!おもしろいよ!」

「震災後初めての運動会なの。日常が戻ったみたいで嬉しい。」

満面の笑みで答えてくれました。

開会のあいさつをした鈴木さんは、根っからの南三陸人。

「10年くらい前までやっていた地区ごとの運動会はスウェーデンリレーというのがあってね。各年代から1人ずつの代表がリレーをするんだけど、これが面白くてね~。みんなの真剣な顔を見ていると昔の運動会を思い出すよ」と感慨深そうに話しました。

ちびっこ応援団もとんだり跳ねたり「ガンバレー!ガンバレー!」と応援。

「娘が出でるのよ」とベンチに座って目を細めながら見守るおばあちゃん。

「知らない人でも同じチームになっとさ、話がでぎだり盛り上がっだり、自然と交流が深まっがらいいね」

「もう楽しくて楽しくて~これから毎年やってほしいな」

こんな声も多く聞こえました。

今後、志津川中学校下に建設予定の町営グラウンド。それが完成したらそこでまた町民運動会を復活させたいとの思いがある「これはその足掛かりで先駆けでもあるんですよ」と話す鈴木さん。

みんなが待ち望む運動会の復活まではもう少しかかりそうです。でも、それまでは走れる人も、走れない人もこうして新しいコミュニティを育み、その日を待つようです。

<11月1日放送>みなさんぽ

今週のみなさんぽは、ハマーレ歌津の拠り所「心結ぶカフェむすびや」の伊藤孝浩さんにタイトルコールをいただきました〜!そして、インタビューでは南三陸の農業について、JA南三陸の阿部國博さんにお話を伺いました。

オープニング

ハマーレ歌津の「こころ結ぶカフェ むすびや」にインターン生が開発した人気メニューがあると聞いておじゃましました。タイトルコールはマスターの伊藤孝浩さんにお願いしました!

インタビュー

JA南三陸 営農生活部・部長の阿部國博さんにお話を伺いました。

JAでお仕事をされて40年の大ベテラン。
南三陸町の農業は水と土と住むひとの思いでできている、と言い切る阿部さん。

夏の長雨で心配された南三陸米についても「なんとか平年に近い収量があり、しかもここ10年で最もおいしいお米になった」のだそうです。

これも「何十年もかかってやってきた米に優しい、いい土を作ってきたかが証明された」とも。

そんな南三陸米も販売される『2017 南三陸町産業フェア』がいよいよ11月4日(土)に開催されます!

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2017年10月31日/定点観測

南三陸町市街地の復興の様子を定点観測しています。戸倉地区、志津川地区、歌津地区の3箇所の写真を公開しています。

写真をクリックまたはタップすると大きくなります

戸倉地区

撮影場所 [38.642969, 141.442686

パノラマ

志津川地区

撮影場所 [38.675820, 141.448933

パノラマ

パノラマ

パノラマ

パノラマ

歌津地区

撮影場所 [38°43’5″ N 141°31’19” E

パノラマ

他の定点観測を見る

<10月25日放送>みなさんぽ

今週は今月15日に志津川の旧仮設魚市場で開催された音楽フェス『UTKKO BURUME』の会場から。ライブ直後のカラーボトル竹森マサユキさんが南三陸町ならではのメニューを食レポで紹介してくださいます!当日2つのステージを締めくくる大トリはかりゆし58のライブ。こちらも、楽屋テントでライブ直後の前川真悟さんにお話を伺いました。

オープニング

実行委員会のアツい想いもあって出演が実現したカラーボトルのギターボーカル竹森マサユキさん。想いの込もった感動的なステージの直後に、当日出店していた南三陸らしさ詰まった一品を食レポで紹介してもらいました。

番組のオープニングコールもやっていただきました。

インタビュー

昨年のUTAKKOBURUMEではシークレットゲストとして、地元の子どもたちとともにステージに上った、かりゆし58の前川真悟さん。今年は、バンド体制で南三陸町に戻ってきてくれました。

UTAKKOステージから真正面には鮮やかな大漁旗が飾られていたのですが、”漁師のみなさんが困難を乗り越えて進んでいった証の大漁旗はこの街の宝だ。それを目の前にして歌わせてもらいます”とMCで言っていた前川さん。

そして、『同じく街の宝』と紹介して、地元の子どもたちをステージに招いてのスペシャルコラボもありました。

南三陸に対する想いがたくさん詰まった前川さんのライブ直後のインタビュー、ぜひお聞きください!

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

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笑顔と感動の3日間! ジュニアリーダー初級研修会&南三陸町・本別町ふるさと交流会

8月2日〜4日の2泊3日で、志津川自然の家を会場に「ジュニアリーダー初級研修会&ふるさと交流会」が行なわれました。今年で33回目となる南三陸町と本別町の交流の物語。震災がありながらも、途切れることなく交流が行われています。

今年で33回目の交流事業

旧志津川町と北海道本別町の交流事業は昭和60年から始まりました。北海道の職員らが少年教育事業を他の自治体から学ぶために探していたところ、当時から旧志津川町で盛んにおこなわれていたジュニアリーダー活動が目に止まったそうです。昭和58年に職員が旧志津川町に派遣され、実際にジュニアリーダーが活動している姿を見て、本別町の職員は感銘を受け、ジュニアリーダー事業を取り入れることに。それから2年後の昭和60年からは、両町の教育委員会主催のもと、一緒に初級研修会を開催するとともに、交流がスタートしました。

それから毎年、夏は南三陸、冬は本別町で交流が行われており、今年度で33回を迎えます。

本別町のジュニアリーダーサークルは「HVCかめ」といい、かめのようにゆっくりと成長していくという想いで名付けたそうです。現在16名の中高校生が活動。子ども会活動だけでなく、地域のイベントのボランティアや成人式の運営ボランティアなど多岐に渡って活動しています。

東日本大震災がありながらも今も続く交流

平成23年3月にも、ふるさと交流が予定されていましたが、東日本大震災により中止。しかし、震災からわずか10日後、車に支援物資を積んだ本別町の職員らの姿がそこにありました。本別町ジュニアリーダーを担当しいる本別町教育委員会社会教育主事小池知巳さんは「見慣れた町並みがないことに、ただただ驚いた。そんななかでも町をまわっていると当時ジュニアリーダーをしていた子たちに会えたことでひとまず安心した」と当時を振り返ります。

その年は、両町の交流・初級研修はできないと諦めていました。しかし本別町からの町をあげての支援、協力があり、夏に本別町で初級研修と交流会を開催することが出来ました。

次年度からは例年通り、南三陸町でも一部のプログラムを組みかえながら初級研修が行われました。震災から7年目を迎えた今も、交流・初級研修を続けています。

両サークルの交流を表す旗。震災で流されたが、交流が再開されることに合わせて一から作り直しました

今年の初級研修生は13名!

今年、ジュニアリーダー活動に参加すべく初級研修を受けたのは、南三陸町では5名、本別町8名の合計13名が初級研修に参加しました。そのほか、本別町からは引率職員2名と現役で活動しているジュニアリーダー3名、南三陸町からは引率職員7名、現役ジュニアリーダー19名が参加しました。

1日目に:いかだ作り 初めて会う仲間と協力しながら各班作っていました

2泊3日の研修はいかだ作りやカッター漕艇、ジュニアリーダーの基礎講座、最後の夜には幻想的で感動的なキャンドルセレモニーなどが行われました。研修の中でジュニアリーダーの基礎だけでなく、自然と触れ合いながら、仲間と協力することの大切さなどを学ぶことができます。また、学校生活では出会うことのできない、仲間と過ごすことで個人の成長にもつながっているようです。

2日目:カッター漕艇 今度はみんなと協力して
2日目:キャンドルセレモニー

両町共通の課題は・・・

活発にジュニアリーダー活動を行ってる両町ですが、少子化による人材不足という課題もあります。本別町は現役で活動しているのが16名、南三陸町は34名となっております。子どもがいないということだけではなく、ジュニアリーダーの活動を目にする機会が減っているのが一つの要因ではないかとのことでした。

1日目:JL理論 教育委員会の職員やOB・OGなどからジュニアリーダーの役割や基礎を学びます

3月の再会までお互いレベルアップをめざして

最終日に行われた、お別れセレモニーでは最後となる高校3年生がジュニアリーダーへの想いやジュニアリーダーになったきっかけなどを語りました。多くの人が、小学生の時にジュニアリーダーにお世話になり、憧れてジュニアリーダーになったとのこと。もちろん活動は楽しいことだけではなく、辛い時もあれば、辞めたいと思ったこともあったそうです。それでも一緒に頑張ってくれる仲間がいたこと、支えてくれる仲間がいたことで今まで活動してくることができたと話していました。

“ぶらんこの上に乗るのはかめしかいない”

南三陸のジュニアリーダー「ぶらんこ」と本別町のジュニアリーダー「かめ」の絆を表した言葉です。年に1、2回しか会えない仲間でも、お互いにかけがえのない存在。片方だけでは成り立たない、2つのサークルが支えあっているからこそ両町のジュニアリーダーサークルがあることを実感させられました。

次に両町の子どもたちが再会するのは、3月に本別町で行われる「ふるさと交流会」です。南三陸町からは十数名が選抜されて、研修に参加するため、みんなが再会できるわけではありません。それでも互いに成長した姿を見せるためにジュニアリーダーとしての技術技能を磨き、再会できるのを励みにして活動していくのです。

別れの時:皆で1つの輪を作り、別れと再会を誓います

<10月18日放送>みなさんぽ

今週のみなさんぽは、カフェちょこっとにおじゃまして『戸倉っこかき』のあつあつカキフライをいただきました〜!そして、インタビューでは南三陸町で40日間の実習を行っている大正大学地域創生学部の鈴木里奈さん、小坂健介さんにお話を伺いました。

オープニング

今日はカフェちょこっとにおじゃまして『戸倉っこかき』のあつあつカキフライをいただきました〜!

これから本格的な旬を迎える「カキ」。ふっくらとクリーミーで濃厚なカキに思わず舌鼓を打つおいしさ。作ってくださった成澤英子さんにタイトルコールをお願いしました。

インタビュー

いま、南三陸町では大正大学 地域創生学部の1年生21名が7名ずつ3チームに分かれ、3つのテーマで40日間の実習を行っています。

今週の『みなさんぽ』は、観光をテーマに学ぶAチームリーダーの鈴木里奈さん、産業をテーマにしたBチームリーダーの小坂健介さんにお話を伺いました。

これまでの活動についてや、これから実習中にやっていく課題、南三陸町での好きな場所などお話を伺いました。さらに二人の将来の夢なども伺いました。

南三陸町をフィールドに学びを深めるみなさんの今後の成長に期待ですね。

聞き逃した方はradikoでお聞きいただけます

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