曇っていても蒸し暑い日。
田んぼの稲には穂がついて、緑から黄色に変わりつつあります。
昨日に引き続き、語り部教室のご紹介をします。
当日は4名の方が語り部としてお話をされましたのでその一部を紹介させていただきます。
トップバッターは、菅原幸子さん。
菅原さんの語り部は、ご自身で書き記した文章を読み上げる形で行われます。
震災当日、志津川市街地にあった高野会館で被災をした経験や、会館で一晩過ごした翌日に、自宅のある入谷地区まで歩いて帰宅をしたこと、ライフラインが止まっていた中での生活、
更に途中で、息子さんが亡くなった奥様のために書き留めた手紙も読まれます。
次の語り部は、後藤一磨さん。
避難した高台から見たのは、ご自身の家や車が流されていくという現実離れした光景。
そしてその何もない高台で、火を起こして朝まで過ごした緊急時の体験を話されました。
「一晩空けてなんとか避難した先で食べたおにぎりは、本当に美味しかったです。
いま65歳になって、「今まで食べたものの中で何が一番うまかったか」と聞かれたら、
迷わずあの時のおにぎりだ、と答えます。」
入谷地区で農業を営む阿部博之さんは、津波そのものを見てはいませんが、
「消防団としての救援活動」という形で津波災害と関わります。
阿部さんは、救援活動の経験の他に、「語り継ぐ」ということへの想いも熱く語られました。
「なぜ明治や昭和にも起こった大きな津波災害を、今まで語り継ぐことができなかったのでしょうか。私は、戦争があったことで語り継ぐことが出来なかったんじゃないかと思います。
2万人近くの犠牲者を出した今回の震災から、私たちが本当に学ばなければいけないのは
この災害を、いかに後世に語り継ぐかではないでしょうか。」
そして最後の語り部は菅原清香さん
心配していた息子は無事に帰ってきたけれど、大丈夫だろうと思っていた母親は行方不明のまま。そのような辛い経験をされました。
「そう遠くないうちに母との別れが来るだろうとは思っていましたが、まさかこのような形になるとは考えていませんでした。親孝行は、何も高いものをあげることだけではありませんので、たまには元気な声を聞かせてあげてください。
いつになるかわかりませんが、私があの世に行ったとき、「ばあちゃん、あの町はね、あの後こんな風に変わったんだよ」としっかり伝えるために、これからの復興を見つめていきていきたいと思います。」
今回のブログでは語り部ブースの様子をご紹介しましたが、これはほんの一部です。
それに文章で伝えられるものには限界があり、
災害の恐ろしさや心構えは直の言葉に触れなければ伝わりません。
「まだ南三陸町に来たことのない一人でも多くの人に、町に来てもらいたい」
鴻巣さんの言葉で、この日は締めくくられました。
■ガイドサークル汐風による、語り部教室