地域に戻り、地域に根差す!歌津寄木の新リーダー

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南三陸町で元気にたくましく生きる人たち「南三陸きらめき人」。故郷歌津寄木浜から一度町外に出て戻った。だからこそ、南三陸・歌津・寄木そして人と人のつながりが分かる!笑顔のステキな畠山幸男(さちお)さんを紹介します。

大きな目標を胸に、大海を目指す!

畠山さんは、「親孝行と将来家を建てる!」という目標を立て、故郷歌津寄木浜を出て、宮古海員学校に進学。厳しい寮生活のなか二年間踏んばりました。

卒業後は、大手の船会社に入社して外国航路客船の船員として従事。念願の大海に出て嬉しかったが、当時はキャリアの差(大卒の方と同期)があり、上下関係の壁も厚かったそうです。それでも必要な資格を取得し、船員としてのスキルを高めました。

オイルショック以降は自動車運搬の貨物船に勤務。台湾出身の方と一緒に航海中のある日、パナマ運河でトラブルがあり、言葉が通じないことで四苦八苦したこともあったと振り返ります。

その事がきっかけになったのか、心機一転、熱海市のホテル学校に入学。全く別の世界で修業を始めた畠山さんは、東京晴海の大きなホテルに就職。自動車ショーなど大きなイベントも積極的に手掛けたと誇らしげに語ります。

平成4年、松島湾を眺める大きな老舗ホテルに転職。これまでの経験や技をいかんなく発揮する事になります。売店主任だったころは、一朝で300万円ほど売り上げたこともあったそうです。

また、故郷歌津地域の知人に『還暦記念同級会』の開催を勧めたところ、好評を博し、以降こちらのホテルを利用するようになったそうで、毎年先輩たちの喜ぶ姿に出会えて嬉しかったと話します。

平成16年、家族の事情で歌津・寄木に戻る事になり、新たな環境での生活が始まりました。

経験・技を活かし12年半

故郷で過ごす日常を一変させたのが東日本大震災。

「家族は全員無事だったので、これからは地域の方と協力して暮らしていこう。」

と畠山さんは決意しました。45軒ほどあった寄木集落にも大津波が押し寄せ、被害を免れたのがたったの12軒ほど。自立再建=建て直したのが畠山さんを含め8軒、防災集団移転事業で高台に住む事になったのが22軒だと教えてくれました。

寄木漁港からかつての集落を眺める。ここにはたくさんの住宅が建っていました。

震災直後、宮城県は【東日本大震災復興支援員】を募集し、南三陸町から畠山さんを含む4名が採用されました。翌年からは宮城大学に事業が引き継がれましたが、同じメンバーが被災地南三陸の復興に向けた様々な課題を掘り起こしながら、地域住民の声を聴いて行政につなげる役割を担い、奔走しました。

その頃から、人との交流や会話の重要性を再認識し、住民と関わっている畠山さん。とにかく誰かと話すのが楽しいと語る表情はにこやかです。

寄木漁港。「河口には水門があり、津波に備えていましたが、勢いが凄すぎて…」と話す畠山さん

寄木住民の結びつきは健在

寄木地区の高台移転場所は、特別養護老人施設つつじ苑の東側の山林。地下が堅い岩盤なので造成工事はだいぶ難儀したようですが、昔からの知り合いが隣り合う新興住宅地になりましたと教えてくれました。

寄木地区には『契約講』が現在も存在します。行政区もありますが、地域住民の暮らしや冠婚葬祭におけるつながりは契約講に勝るものはないと力強く話してくれました。この住民組織は、震災後の避難・仮設住宅生活の頃はもちろん、将来の高台移転の不安解消にも力を発揮します。そして全世帯が自立し始めた今、新たなコミュニティ再生においては、契約講と部落会(行政区)が一緒になって支援・応援を繰り広げています。

さらに、復興支援員制度が終了してからも同じメンバーを中心に立ち上げられた『一般社団法人復興みなさん会』の理事としても活躍、住民に寄り沿った活動を展開しています。

寄木行政区長として

平成30年3月に開催された地区総会で次期区長に推された畠山さんは、一旦は固辞しましたが全員一致での要請により4月から正式に南三陸町寄木行政区長に就任しました。さっそく、宮城県地域コミュニティ再生支援事業に補助金申請し、住民交流を密にする行事の開催に取り組んでいます。

「お花見やバーベキュー大会やグラウンドゴルフ大会、カラオケ大会など毎月のように集まる仕掛けを企画、たくさんの住民が集まってくれて嬉しい。」と手ごたえを感じているようです。一方、「子どもの数が年々少なくなり、伝統行事『ささよ』の継承も心配だ」とも言いますが、移住者も仲間に引き入れる温かみがある寄木地域なら大丈夫だろうと感じました。

「長男が松島町のホテルに勤めているがまだ半人前だ」と手厳しい。

「環境が変わり大変だが、家族みんな幸せだなと感じながら暮らしたい。嫁いだ長女と孫に会うのが待ち遠しい。趣味は庭の花を育てるくらいしかないけど、いろいろな方と交流するのも楽しいよ」

最後まで優しい笑顔のステキな畠山幸男さんでした。

ところで、十代の頃に立てた目標『親孝行と家を建てる!』は?

もちろん、どちらも達成したようです。

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