町長の講話(ふるさと南三陸)

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12月18日志津川高校で3年生を対象に「ふるさと南三陸を学ぶ」
と題して南三陸町長の講話がありました。
まず、町の基幹産業である漁業の中でも、志津川魚市場で1番の水揚げである秋鮭について話しました。
卵から育てふ化放流している鮭は、4年するとふるさとの川に戻ってくる。
町の鮭ふ化場が津波で壊されてしまったことにより、
今年の卵の確保が大変なことなどを話しました。
また、観光も町は力を入れている産業であること。
震災前ピーク時で年間の観光客が110万人いて、震災の年は36万人になり、3年目で90万人まで盛り返したが今はまた下降線となっている。
交流人口の拡大が必要である。
そして、インフラの整備としては町のグランドデザインを建築家の隈研吾氏に設計していただいていることなどを話しました。(2020年の東京オリンピックの国立競技場のデザインも隈研吾氏ですね)
このほかにも
町長が生徒たちに伝えたいメッセージが何点かありましたので
まとめてみました。
メッセージ 1
「やらない理由」ではなく、「どうしたらやれるのか」を考える
仮設住宅を用意する時、町は地形的に安全な場所に平地がなく高台を造成しなければならなかった。
それは容易なことではなかった。しかしあの時自衛隊の方たちは一生懸命がれきを片付け
どんどん作業を進めていきました。
「自衛隊の方々は懸命にどうしたらやれるかを考えて実行してくださった。」
できない理由を探すのではなく、どうしたらやれるのか!
まず、町長は生徒たちにこの言葉を示しました。
メッセージ 2
何が本当に豊かなのか自問自答してほしい
ものがあるのが豊かなことなのか?
欲がある。欲にはきりがない。
震災の時、小さなおにぎりと水がおいしかった。
避難所ではプライバシーが無かった。
停電の後、明かりがついた!水道から水が出た!このことに感動した。
最低限なところが豊かなのかもしれない。
町長はこのように実感していると話しました。
そして、100年で4回の大きな津波が来ている。これからも津波は来る。
だからこそ、基本、津波に絶対安全な安心な町。
南三陸町は“国際津波防災の都市を目指す”ということです。
メッセージ 3
楽しく精一杯生きる
一歩先、何が起きるかわからない。
病気で亡くなったりすることもある。
何が1番大事なのかを考えてもらいたい。
人生にはチャンスというものが平等にあると思う
気づいて生かす人、気づかない人、気づいてもそれを生かさない人
チャンスの時が転機になると思う。
メッセージ 4
町の長所短所をわかる人間になって帰ってきて欲しい
「もし町を出ていくのであれば、大海を知って、いろいろ体験して
物事を知り、友を作り戻ってきて欲しい。」
そして「町の情報を他の地域で発信して町の力になって欲しい。」
とも話しました。
町長の講話の後、生徒達からは活発な質問が出ました。
質問「仮設住宅はいつまであるのですか?」
町長「住宅再建は第一と考えている、平地がなく山を削らなければならない。
高台に28団地造成して28年度中には完成する。仮設住宅は小さな子供と違い
高校生は大変だと思う。今しばらく待ってもらいたい!いつまでかは返答できない。」
質問「物理的な物の復興もあるが、精神的な復興が本当と思うが?」
町長「ハードを作るのは目に見えるが、心の部分は難しい。行政が立ち入ることは
できない。しかし、保健福祉の部分で行ってきてはいるが、自分の心を奮い立たせられない人はいる。難しいところだ。生活不活発病というのがあるが体を動かすこと、
このことによって体だけでなく心も動かしていければと思う。」
 
最後に、志高生から町長へ花束が贈られました。
限られた時間での質疑対応。
まだまだ、聞きたいことがあった様子の生徒達。
生徒たちは震災を経験し、たくさんのことを感じ、学んだのだと思います。
この日の講話も、きっと生徒たちの学びとなり、これからの未来を担っていく力となってくれるでしょう。
(西城)  
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