「ずうずう弁おしょすぐねぇ!」歌津の歴史・文化を伝えたい。

978

きらめき人シリーズ第4弾は歌津地区の小野實さん。四十余年間の公職(旧歌津町職員)を終えた後、方言やことわざを調査しまとめることに没頭、自費出版しました。さらには『歌津仇討物語』も。歌津の歴史文化についてはこの方に!という小野さんに話を伺いました。

田束山(たつがねさん)ってさ・・・

「あんたはもちろん知っているだろうけど、この山名を初めて見た人は絶対読めない!」と豪快に笑いながら、南三陸歌津の霊峰『田束山』について話が始まりました。

「奥州平泉が栄華を極めた藤原三代の頃、この一帯(特に入谷地域)から金が採掘され中尊寺・金色堂の装飾や貢物として交易が盛んだった。その平泉・中尊寺の向かいにある山は『田稲山』(たばしね)と呼ばれている。稲と束・・・関わりがありそうだよな。そう、田束山は田稲山と兄弟山とされていたんだ」

もっと昔、標高512mの田束山は修験者の霊峰であり、元々【龍峯山(りゅう・ほう・ざん)】とも呼ばれていて、訓読みでは、たつ・(み)ね・やま=たつがね になるという事も話してくれました。

田束山の山頂にはお社があり、そこから東南東(=卯辰)の方角に村が開けたから「うたつ」という地名になったという説があり、さらに、歌津は、まるで龍が眠っているような地形だと教えてくれます。

「田束山は龍頭山とも言う、つまり頭だな。臥龍の尾っぽにあたるのが泊半島、その先には「おさき神社」があるんだけれども、それは御崎ではなく尾崎と書くんだ。」

「名足(なたり)という集落があるだろう!龍の右足を意味している。半島の反対側に左足(さたり)という浜もあったんだ。こうやって調べるといろいろ面白いこと分かるんだな!」

小野さんは、歌津公民館に勤めていた頃、地域住民に情報を発信する事が必要だと考え、あえてペン書きで「公民館報」を発行します。簡単明瞭でわかりやすい文章、読みやすい大きめの文字が当時の町長から大いに褒められたと笑顔で振り返っていました。歌津の歴史や文化を調べて皆さんに伝えるという役割がその頃から身についたのだと思われます。

その後、町民課長に任命され、ますます活躍の場を広げ、研究者とともに化石の発掘作業に汗をかき、貴重な『ウタツギョリュウ』を発見したり、町中から昔の生活道具などをかき集めて資料館を整備するなどの実績を積み重ね、やがて歌津町史編纂の主力メンバーとなります。

方言は大切だ!地元のことわざも残さねば。

定年退職後、来客との何気ない会話の中で気づいたのが地元言葉つまり方言。この『歌津のことば』をまとめてみることにしました。独特なイントネーションを文字であらわすのはとても難しく、発音は同じでもアクセントによって意味が異なる方言や、全く反対の意味になる言葉もあって苦労されたそうです。

それでも持ち前の探求心と、地域の先輩や家族の協力もあって『21世紀の子らのために ふるさとの味 方言とことわざ』というタイトルの冊子(164ページ)を自費出版しました。平成7年10月に300部を初版発行、友人知人に配り大変喜ばれたそうです。

冊子のあとがきには、「若年層から言葉の標準語化が進んでおり、貴重な方言やことわざが知らず知らずに置き去りにされて行くような気がしてならない。方言は、その土地、その地方の生活の歴史であり文化である。」と記載されています。歌津ことばに対する小野さんの熱い思いが感じ取れます。

*おの段、『おしょすい』とは『何となく恥ずかしい』との解釈が載っています。
一方、イラスト付きの会話では『やぁ…こっつの孫もかなりたくさんだな…』『ほんだから…や…どんぐりさ ぜんめぇつけだようだでば』とか 『何とねぇ えごだや お宅でも良嫁さん もらって…や』『なあに がらがらって バゲヅさ火箸(ひばす)入れだような女(おなご)でがす』
皆さん、声に出して読んでみましょう。それぞれどんな意味かお分かりになりますか?

伝説の『歌津仇討』も出版、フォントは自筆。

誰もが文字を理解できるのはつい最近の事です。地方に残る民話や昔話は、時には教訓めいた内容に変化したり面白おかしく誇張されながら代々語り継がれてきた口述伝承(いわゆる言い伝え)です。

歌津においても、古から伝わる武勇伝がありました。小野さんに伺うと・・・

「実家(上沢集落)の近くが舞台、原本は変体ひらがなで書かれていて読めない。この話は、オレも両親や親類から聞いたことがあるんだけれども、内容があやふやなんだよな~と長男に話したら、覚えている間に文字に起こしたら良いさ!って言ってくれて・・・」と切り出してくれました。

【歌津仇討物語・お房のよろめき】概要

350年以上前、歌津村上沢刈松辺で暮らす治左ヱ門には、村一番絶世の美女お房という妻がいた。剣の達人で塾を開いていた松岡門土(まつおかもんど)が、お房に一目惚れし、やがて恋仲になる。ある日、治左ヱ門が気仙沼に買い物に行くと知った門土が小泉付近で待ち伏せし、堀切沢で殺害する。旦那を殺したから一緒になろうとお房に打ち明けるが、それは意に反するとお房は激怒。門土は本気ではなかったのかと失望し、お房をも殺してしまう。この際、家族皆殺しを図る門土。その様子を見ていた長男重次郎と長女お筆は、かろうじて逃げきることができた。門土は、この村にはいられないと決断し、払川、入谷を通り水堺峠から北に向かって逃げて行った。やがて重次郎は剣術に励み、お筆は吹矢の技を磨きながら三年かけて門土を追いつめる。さて、結末は・・・

登場人物の感情や動きなどが詳しく描写され、まるで語り聞かせるような文章そして自筆そのままに仕上げた本は、読み手が一気に引き込まれます。

仇討・・・近代の日本では禁じられていますが、ちょっと昔の時代は黙認されていたこともあります。

ただ、一途な思いだけでは果たせないのが現実。特に親を殺された恨みを子らが晴らすことは、痛快な物語として共感を生むものだったのかも知れません。

「あの時、書けと言ってくれた長男や手伝ってくれた家族のおかげで、本として残すことができた。」と嬉しそうに語る小野さんに、次の作品はあるのか尋ねてみると、さあ~と意味深にほほ笑むだけ。

頭の中の引き出しにはたくさんのネタがあるようなので、きっとまた何か取り組むのかも知れません。

プロフィール

小野實(おのみのる)さん  昭和7年5月生まれ  歌津町上沢出身

歌津公民館職員から町民課長、公職終盤は助役として歌津地域の発展に尽力されました。誰からも頼られ、気さくに相談に応えてくれる好々爺です。

いいね!して
南三陸を応援

フォローする