我妻監督最新作『願いと揺らぎ』仙台公開! 〜12年間の地域記録 記録者から伝える人間に〜(前編)

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震災前の南三陸町戸倉地区波伝谷(はでんや)集落を舞台とした我妻和樹監督作品『波伝谷に生きる人びと』の続編にあたる震災後の様子を映した『願いと揺らぎ』が、4月28日(土)から仙台市内の劇場で公開されます。12年間もの間、地域と一緒に歩み、震災があり苦悩や葛藤を乗り越え、カメラに納めてきた我妻和樹監督の想いに迫る特集の前編です。

小学校からの夢だった映画監督!行き着いたのは縁もゆかりもない土地

2014年に公開された、地域社会の営みを丹念に描いた作品『波伝谷に生きる人びと』。その続編にあたり、復興に至る苦難の道のりを描いた作品『願いと揺らぎ』。震災前後の2つの作品を製作した我妻和樹監督が映画監督を夢見たのは、なんと小学5年生だったそうです。小学5年生の時に、とある映画との出会いで心動かされ、中学3年生の時には実際に映画を製作し文化祭で上映したとのこと。しかし思うような作品にできず、「10年間は映画を撮ってはいけない」と思ったと話します。

それでも夢を諦めず、作品を作る上で別な視点を取り入れ自分の世界観を養いたいと思い、高校、大学と進学し行き着いたのが民俗学でした。映画の専門学校には行かず、映画を作るために民俗学を学んだそうです。

2005年3月、当時東北学院大学の1年生だった我妻監督は、大学の民俗学ゼミのプロジェクトとして始まった波伝谷での民俗調査に参加。そして先生や先輩方に連れられ、地域で「お獅子さま」の愛称で親しまれている波伝谷春祈祷(はるきとう)(南三陸町の無形民俗文化財に指定されている獅子舞の行事)を視察。その時地域の全戸全世代が主体的に行事に関わる姿を見て、自分の地元よりもはるかに濃密な地域のつながりに衝撃を受けたそうです。

そして大学3年間で波伝谷の暮らしを丹念に調査し、卒業後の2008年3月以降は個人で、波伝谷を舞台にしたドキュメンタリー映画の撮影を開始。自分が感じた地域の魅力、人びとの生き方を伝える映画を作りたいという想いで波伝谷に足を運び続けたそうです。

2012年4月 復活当時仮設住宅を回ったお獅子さまの様子(写真提供:我妻和樹監督)

映画の舞台 波伝谷で被災。撮影を続けることが困難に

そして2011年3月11日。この日も我妻監督は南三陸町にいました。『波伝谷に生きる人びと』の試写会の日取りを決めるために波伝谷に向かっていた途中で被災。カメラを回しながら高台へ避難。完成した『波伝谷に生きる人びと』の冒頭とラストでは、そのとき撮影していた当時の状況も映し出されています。

震災から数日後、我妻監督は波伝谷の人たちに見送られ「すぐ戻ってきます」と言い残し、白石市にある実家に帰宅。しかし、帰宅してから心境が一変。「お世話になった方々が大変なときにカメラを向けていいのだろうか。何者として戻るべきなのか。邪魔にしかならないのではないか」と悩みに悩んで戻れなくなったといいます。

津波で全て無くなってしまったからこそ、震災前の日常を記録した『波伝谷に生きる人びと』を一刻も早く完成させて見せたいけど、なかなか完成しないもどかしさ。「6年間ずっと入り続けた自分が肝心なときに何もできなくて、一人で悶々としていた。早く戻らなければいけないという焦りを通り越して、時間の経過と共にもう自分の居場所がないのではという恐怖に変わっていった」と当時の心境を話してくれました。

それでも映画になるかどうかは別にして、これまでの“記録者”としての自分の役目を再確認し、現状を記録するために戻ることを決意し、震災から4カ月後、2011年7月はじめに『波伝谷に生きる人びと』のダイジェスト版と震災前の風景写真を持って、波伝谷に戻ることができたと話します。

震災直後の波伝谷集落 (写真提供:我妻和樹監督)
『波伝谷に生きる人びと』より (写真提供:我妻和樹監督)

震災を経て、当初想定していなかった新たな作品が!?

波伝谷に戻り、撮影を再開したものの、震災後の波伝谷地区はすっかり状況が変わっていて、我妻監督はどこをどう撮っていけばいいのか分からない時期が続いたと振り返ります。しかし避難所から仮設住宅へと生活の場が移り、ある程度落ち着きを取り戻す中で、人々は次第に震災前の生活に想いを馳せるようになっていました。

そんななか、2012年の年明けとともに聞こえてきたのが、波伝谷の人たちの本来の姿を象徴する「お獅子さま」(波伝谷春祈祷)復活の声。コミュニティがバラバラになってしまった中で、かつての地域のつながりを取り戻したいという波伝谷の人たちの想いに触れ、我妻監督は「震災前と震災後が繋がる感覚を覚えた」と話します。そして自分にとっても大切な「お獅子さま」復活の過程を追いかける事に決め、新たな気持ちでカメラを回し始めました。しかし、大きな動きがあるわけでもなかったため、当時のさまざまな状況に置かれている人びと、その心境をカメラに収め続けたそうです。

その結果生まれることになった『願いと揺らぎ』ですが、撮り始めの段階では地域の伝統行事復活を描くサクセスストーリーをイメージしていたとのこと。しかし当時、被災地に関する報道で多くされていたような美しい復興のイメージとは全く異なる現状がありました。「現実には復興への願いは同じはずなのに、考え方や方法の違いから足並みが揃わず、すれ違いを重ねる人びとの心の揺れ動きを捉えることにした」と我妻監督は話します。

震災前の波伝谷の風景(2009年4月撮影) (写真提供:我妻和樹監督)

(後編へ続く)

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