復興の象徴的存在へ。さんさん商店街1周年

214

3月3日(土)、4日(日)に「南三陸志津川さんさん商店街」でオープン1周年記念のイベントが開催されました。餅まきやガラポン抽選会など行われ、行列ができるほど多くの買い物客で賑わった2日間になりました。

復興と希望のシンボル「さんさん商店街」

2017年3月3日に、約5年間の仮設商店街を経て、オープンした本設の「さんさん商店街」。2018年3月3日、オープンから一周年を迎えました。地元の新鮮な海産物を扱う飲食店や鮮魚店、土産物店に日用品を扱う店など軒を並べる28店舗は、震災の大津波で壊滅状態に陥った志津川地区の5つの商店街にかつて店舗を構えていた店主たちが中心となって立ち上げた商店街です。年間の来場者数は仮設時の1.6倍に上り、65万人を超えました。町のにぎわいの中心を担い、南三陸の復興と希望のシンボルとして、国内外の多くのお客さんを魅了しています。

本設のさんさん商店街に移設されたモアイ像

訪れる人たちに感謝。みんなが笑顔になる交流の場づくりを

開業1年となったこの日、商店主が感謝の思いを込めてステージ上から餅まきを行いました。式典でさんさん商店街の阿部忠彦会長は「1周年を無事に迎えられたのはひとえにお客様のおかげ。これからも賑わいづくりの一翼を担っていく。地元の皆さんと南三陸のよいところを紡ぐ文化があってこそ、町内外からも魅力を感じてもらえる。町内外の人々の交流の場になるよう対話を重視した店づくりを大切にしたい」と語っていました。

商店街では『おかげさまで1周年大感謝セール』として祝酒や甘酒の振る舞いがあったり、豪華景品が当たるガラポン抽選会を目当てに行列ができたりと午前中から大賑わいでした。来場者は地元の人たちだけではなく、近隣の市町村や県外からも南三陸の復興の状況を気にして訪れる人たちがいました。

今回の1周年記念に山形県から訪れた佐藤さん。仮設だった商店街時代も知っており、「店が広くなって買い物しやすくなりましたね。町はまだ造成中だけど、景色は美しいです。もっとたくさんの人たちに、南三陸の良さを知ってほしい」と話してくれました。

オープニングでは迫力ある演奏。南三陸町志津川の「大森創作太鼓」が演奏を披露した

2年目が勝負。新メニューで南三陸の魅力を伝えていく

常設商店街として新たなスタートを切った「さんさん商店街」。仮設商店街の時と比べると来場者数は増えているが、秋以降は減少傾向にあり、関係者は「2年目が勝負」と気を引き締めます。このため、店主たちは「キラキラ丼」に続く新名物メニューを開発、提供するなど新たな取り組みを続けているところです。「弁慶鮨」の菅原賢さんは地元の幸を豊富に取り入れた新メニュー「さんこめし」を開発。季節限定で昨年の11月に発売したところ、閑散期の2月にも行列ができるほど大好評だったといいます。

弁慶鮨さんは津波で被災し、親子で避難先の埼玉県のすし店で働いていたそうです。そこで店舗の経営を打診されたが「やっぱり南三陸の人を喜ばせたい」と2012年12月、仮設のさんさん商店街で再スタート。17年3月、常設の商店街でも軒を構えました。菅原さんは「1年前は商売として成り立つのか、不安が大きかった」と無我夢中だった1年間を振り返ります。震災前と違うのは、住宅地と商店街が離れ、地元の人が飲み歩く文化が薄らいだことかもしれません。「住宅が再建したばかりでみんな生活が大変です。商売を続け、皆さんの来店を待ちたい」と話してくれました。

復興にかける商人たちの熱き想い

「全国にいる商店街の仲間たちのおかげで生きている」

及善蒲鉾店の及川善祐さんは仮設商店街の初代組合長であり、まちづくり協議会の会長をしながら、商売を通して南三陸町の復興のために尽力されている人です。

震災の津波ですべてが流され、全財産を失くした後、避難所の志津川小学校で59日間を過ごし、仮設住宅での生活を続けながらも、隣町の登米市に蒲鉾工場を開業。そして昨年めでたく本社・新工場を故郷の南三陸町に移転オープンしました。

「仮設だったさんさん商店街オープンの日は、大雪でしたね。真っ白に積もる雪を見て、あぁこれは『好きな色に染めなさい』ってことなのかと思いました。」と懐かしそうに当時の想いを振り返ります。

仮設住宅に集まった商人たちの団結力できた仮設商店街や福興市。現在は場所を変え「さんさん商店街」「ハマーレ歌津」など、ふるさとへの想いが込められた復興の象徴的な憩いの場ができました。

「さんさん商店街」の今後は、敷地内には交流施設、向かいには震災復興祈念公園が建設される予定となっており、同商店街を中心とした一帯は、これからますます町のハブ的存在となることでしょう。

いいね!して
南三陸を応援

フォローする