いつかは大好きなこの町で / 志津川高校生徒会長・大坂日菜さん

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「いつかは好きなこの町で」志津川高校大坂日菜さん

南三陸に生きる人を巡り、一巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第一弾は志津川高校生徒会長の大坂日菜さん。被災地の生徒会長という重責、町への想い、そして夢ーー。明るく振る舞う彼女の素顔に迫りました。

持ち前の明るさで場を盛り上げる!

リーダーには大きく2つの分類があるとされる。論理的に思考し人々を納得させる「ロジカル型リーダー」、そしてみんなのやる気を引き出し盛り上げていく「モチベーター型リーダー」。

屈託のない笑顔で人を魅了し、その明るさで場を盛り上げる彼女は、間違いなく後者だ。取材をしているだけで、なぜか彼女といっしょにアクションを起こせたらおもしろいことができるんじゃないのか、自然とそう思わせてくれる。

そんな彼女の名は、大坂日菜さん。その名の通り、お日様のような明るさを武器に、現在志津川高校の生徒会長を務めている。

”被災地”の生徒会長を担うということ

熊本で大地震があった夜のこと。「私たちになにかできることはないか」と、自然に生徒会メンバーが話し合いをはじめた。その中心にいたのが彼女だ。

すぐに校内で募金活動がはじまった。「ここに通うみんなは、地震が他人事ではない。だからみんなが自然と協力してくれた」

少ないお小遣いから、アルバイトで貯めたお金から、毎日のように募金してくれた子もいた。

そんな活動のなかで彼女の脳裏に浮かんでいたのは、生徒会で活躍してきた先輩たちの姿。

「地震のことを風化させてはいけない」「この学校を変えたい」という想いを受け継いでいきたい。そんな気持ちで生徒会長に立候補した。

東日本大震災で未曾有の被害があった南三陸町。その中心に位置する志津川高校で生徒会長を担うこと。それは切っても切り離せないものなのかもしれない。

責任の大きさに押しつぶされそうになったこともある。「はじめの頃は、震災の話をすると泣いてしまってうまく話せなかったり…。それでもまわりのみんなが助けてくれた。今は、その頼もしかった先輩たちを越えられるような生徒会を作りたいって思いで頑張れます」

高校生が背負うには重すぎるような運命のなかで、彼女は持ち前の明るさでみんなを引っ張っていく。

「会長を任されたからにはやり通すしかない。忙しいとか言ってられない」

「いつかは好きなこの町で」志津川高校大坂日菜さん

南三陸を人と人がつながれる町にしたい!

生徒会長としての任期は残り半年ほど。

「私にできることは、この町に来てくれた人に町のよさを伝えていくこと。海がほんっとにきれいで、いろんな体験ができる。そして、海のものも、山のものも、すごくおいしい! みんな明るく、笑顔でがんばっているのがこの町のいいところ! きっとまだまだ私が発見できていない魅力もいっぱいある町なんだと思う」と声が弾む。

これまで、全国にいる同年代の高校生と何度も交流を図ってきた。

「すてきな町だね」「また遊びに来たい」という全国の友だちの言葉が彼女の誇りだ。

「震災の町というイメージではなくて、楽しくて、おもしろいから南三陸に行きたい!って思えるような町になったらなって。人がいっぱい来る町になったらうれしい」

震災以降、全国の人との出会いがあったから、人と人のつながりの大切さを実感している。

「困ったときに、笑わせてくれて、助けてくれるのは知り合い。それがいろんなところにいて、みんなに広まったら。そういうのが世界を救うんじゃないかな」と目を細める。

「いつかは好きなこの町で」志津川高校大坂日菜さん

5年前のあの日に見た凛とした姿

そんな彼女の夢は幼稚園の先生になることだ。それを強く意識したのは、5年前のあの日。当時小学校6年生だった。混乱冷めやらぬ避難先で見たのは、不安や恐怖から泣いている園児たちをやさしく接してあげて、「大丈夫」と見守っている先生たちの姿。

「自分だって経験のないことで恐怖でいっぱいだろうに、その姿が本当に頼もしく、かっこよかった」

もともと人と関わることが好きだった。混乱のなか、凛としたその背中に自然と憧れを抱き、自分自身の将来を重ねていた。

「震災のことだったり、命の大切さを子どもたちに伝えたい。そして、いざというときに自分が助けてあげたい。子どもを守ってあげられる先生になりたいんです」

たとえ離れても、いつかは大好きなこの町で。

高校3年生となったいま、彼女は受験に向き合いはじめている。あと1年もしないうちに高校卒業を迎え、この町を離れることになるのだろう。夢に向かって突き進むために。

「大学で資格を取ったら、大好きなこの町に戻ってきたい」

太陽が沈んでもまた登ってくるように、大坂日菜ちゃんというお日様がまた南三陸にまばゆい光を届けてくれることを期待して。

「この町が好き」と話している彼女のような子どもたちが、たとえ一度町を離れたとしても、「またこっちに戻ってきたい」と思えるような町をつくっていくこと。それが私たち大人の責任なのかもしれない。

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