南三陸町の手仕事を紹介するこのテーマ。二回目は町内外のイベントで作品を出品している装飾具屋Ventの美樹さんです。様々なものをレジンで包む作品と、自然と創造性の交差点をお話していただきました。
風のような作風を求めて
「ちょっと作業しながらでもいいかな、新しいのがあるんだよね」
そう言うと美樹さんはカバンから様々な道具を取り出し、手袋をはめていつもの仕事を始めた。
「Ventはフランス語で“風”って意味があってね、風のように自由な作風を、って意味でつけたんだ」
元々は仙台の雑貨屋でスタッフをしていた美樹さん。お店で作っているうちに自分でもやってみたいと思い立ちオリジナルのものを作り始めた。
「それが大体13年くらい前で、そこからお店を手芸屋さんに変えて、物作りの知識をゲットしながら働いていたかな。そして平成20年に町にUターンで戻ってきてからフリーランスとして働き出したの」
お店の社員で趣味として始めたハンドメイド。町に帰ってきてからはバンドの物販品を作成するなどの活動をしていたが、当時は今のように「フリーランス」という働き方は珍しく、戸惑うことも多かったという。
「帰ってきて何してるの?って聞かれても、その時はまだ趣味の範囲で作っていたからね、周りに同じような働き方をしている人もいなかったし、大変っちゃ大変だったねぇ」
美樹さんがもがきながらも自身の活動を続けている最中、東日本大震災が起きた。
自分に出来る事、作品で伝えられる事
美樹さんの創作活動は震災がターニングポイントになった。
「最初は、親戚が作っていた“ふのり”をどうにかして形に残したい、っていうところから始まったかな。」時間が経てば無くなってしまうものをどうすれば残せるのか、思いついたのがレジンだった。
「レジンは乾燥しているものであればなんでも中に入れられるの!で、ふのりを入れてみたらすごく良くって、こういう風に残していくのもありだなぁって思ったの」
どこにもないオリジナリティがここで生まれ、どんどん活動の幅を広げていった。
しかし、まだこの段階では「趣味」の範囲を抜け出せないでいた。
葛藤とジレンマと活路
何をするにしても「震災」や「被災地・被災者」というレッテルが付いてしまっていた時期。
「震災があったから。被災地だから。と見られていたし、それに従うことが正しいのかと思っていた。でもそこに違和感を感じている自分もいて、やりたいことはそれなのかって」
震災に関係なく、南三陸らしいものを作りたい。そんな時に「ハンドメイド塾の講師」をすることになった。
「私が講師で大丈夫なのかなって思ったんだけど、やってみたら仙台から来る人もいたりカップルで参加する人もいてびっくりした!そうして教えているうちに吹っ切れたね」
吹っ切れてからはまさにVentの名の通り、南三陸らしさを交えた自由な作品をどんどん公表していった。講座を始めてから3年目、徐々にハンドメイドの輪は広がっていった。
「田舎だからこそハンドメイドが生きる。近隣の地区でもそういう場所があるから南三陸でも出来るはず」力強い眼差しは未来を見つめていた。
文化としてのハンドメイドを
「今はまだだけど、将来的にはこの町に根付くような文化にしていきたい。」
ハンドメイドを始める敷居を低くする、誰もがハンドメイドを出来るような環境にしていきたいと美樹さんは意気込む。
「楽しいから続けられているし、今は周りにフリーランスの人が増えたから心強い。」
働き方を若者から学んでいるのよ、と移住者やUターンで新しく仕事を始めた人たちとの交流も楽しみにしているという。
南三陸の「光るもの」を発信できる作品を目指して
以前にも増してオリジナリティ溢れる、マニアックな注文も多くなったそう。
「前に『ネギの何かを作って!』と言われた時はびっくりしたけど、作ったピアスを町の外で着けてファッションとして楽しんでいるのを見てすごく嬉しかった!」
地元×マニアという新しい発想は、まさにVentにぴったりだった。
「今は材料も簡単にネットで手に入る時代だけど、あくまでも取り寄せじゃなくて自分で手に入れて加工したい。このウニの口も、知り合いの漁師さんのところに手伝いに行った時にもらってきたの。」
これがここにしかない強みよ。と言う美樹さんの表情には、これまで積み上げてきた周りの人との信頼関係が伺える。
いつの日かハンドメイドをする人が集う環境を夢見て、自由な風は今日も空高く舞い上がっていた。