「楽しむ」ことが地域のためになる。/小出悟さん

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南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第21弾は2013年に南三陸に移住した小出悟さん。気仙沼と南三陸町で二拠点生活を送る小出さん。三陸地域全体で交流を生み出したい!と意気込んでいます。

新潟県から東日本大震災を機に南三陸へ移住

東日本大震災から間もなく7年を迎えようとしている。多くの人にとって人生を大きく転換させるターニングポイントとなった。現在、町内の水産加工会社に勤める小出悟さんもその一人だ。

新潟県新潟市出身の小出さん。高校卒業のタイミングで震災だった。

「東北はまったく縁がなかった土地。これまで何不自由ない暮らしをしてきて、高校も卒業したけど『特別これがやりたい!』ということはなかったんです。震災の映像をテレビで見ていたときに、ここで力になりたいと思った。自発的に何かしたい!と思えたのは、おそらくそれが初めてのことでした」

それから2年後。2013年4月からNPOが主催する「復興応援バイト」という、被災した企業で働くことによって地元の方とともに産業復興を応援していくプロジェクトに参加し、町内の水産加工会社に勤めることになった。

「働く場所と、住む場所が確保されているということが大きかった。生活していくには困らないだろうな」ということが見知らぬ土地への移住を後押しした。

多くの人との出会いのあったシェアハウスにて

自分が楽しむことが、「町のために」つながることを実感

「正直この町に来たときも、『これがやりたい!』という明確な意思をもっていたわけではありませんでした。まずは派遣された会社で力になることを目指し、そして町の復興がすすんでいくのと同時に自分のやりたいことも具体化されていったらいいなという想いでした」と当時を振り返る。

意を決してやってきた南三陸町。水産加工会社という新しい挑戦。そこで出会った人々のパワーに次第に魅了されてきたという。「社長の人柄やエネルギー、社員の結束力・団結力など、純粋にかっこいいと思ったんです。当時は、『会社のために』『町のために』という使命感が大きなモチベーションでした」と話す小出さん。充実した生活を送っていたが、「家と職場の往復。町のイベントなどに顔出すことも少なかった」と話す。

転機となったのは、一昨年に気仙沼を訪れたこと。旅行者、移住者、地元住民が集うゲストハウスで同年代の仲間に出会い意気投合。

これまでの「地域のために」というベクトルが「自分のために」へと変わったとき、これまでと町の見え方が変わった。純粋に町での生活を楽しもうとさまざまな場所に顔を出すことで自然と知り合いも増加。イベントの実行委員会などにも関わり、「自分のために」という想いが、「町のために」へとつながっていった。

今ではゲストハウスのスタッフとして宿泊対応や飲食の提供、イベントの立案運営などを行いながら、平日・南三陸、週末・気仙沼という二拠点生活を送っている。

会社、そして地域へと活躍の場を広げたことで多忙な一年だったが、これまで以上の充実感を味わえた。

転機となった「ゲストハウス 架け橋」のスタッフとの出会い

三陸全体で交流を生み出したい!

「気仙沼に行くことで南三陸のことを深く知っていきました。旅行者や気仙沼の人に『南三陸ってどんな町なの?』と質問されることも多かったんです」

そんな小出さんが考える南三陸の魅力を問うと、「小さい町だからこそなのか、地域にある資源を活用していくという動きがとてもすごいと思う。自分も含めて海のイメージが強かったけれど、森林資源も豊富で、さらに地域資源を循環させていくバイオマス産業のことなど、もっと知ってもらいたいことがたくさんある」と話す。

気仙沼と南三陸。隣り合った町ながら、お互いのことをよく知っているとはいいがたい。近くて、遠い町だ。この二都市で二拠点生活をする小出さんだからこそお互いのよさに気づいてくる。

小出さんは、もっと横のつながりが増えればいいのに、と願う。昨年12月には、南三陸、気仙沼、陸前高田の三地域の若手を集めて合同運動会を開催した。新たなつながりを生み、手ごたえも感じることができた。

だからこそ「気仙沼や南三陸の交流だけでなく、三陸沿岸全体で交流を生み出したい」と話す小出さん。

2018年は挑戦の年だ。その挑戦がこの地域に新たな「楽しみ」をもたらしてくれることだろう。

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