日本と台湾を明るく照らす「太陽」に/陳忠慶さん

648

南三陸に生きる⼈を巡り、⼀巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第25弾は、今年6月から観光協会のスタッフとなった台湾出身の陳忠慶さん。東日本大震災後に深まった台湾とのよりいっそうの交流強化を目的に、採用された陳さんに迫ります。

日本語に興味をもったきっかけは祖父の演歌

東日本大震災以降、強い絆による交流が続く南三陸町と台湾。その台湾の桃園市出身の陳忠慶(ちんちゅうけい)さんが6月から南三陸町観光協会の国際交流推進員として加わった。

小さいときに祖父の歌っていた演歌を聞いて日本に興味をもつようになったという陳さん。「なんの言葉か、なんて言っているのか分からなかったんですけど、なんとなく興味をもったのを覚えている。日本の演歌だと知って、子どものときからなんとなく行ってみたい国だった」という。高校生のときには日本語コースに進学。「でも日本語は難しくてテストは不合格ばかりだった。難しくて、正直あまりやる気があったとはいえないです」と笑う。そんな陳さんの転機となったのは高校2年生の夏休みだった。山形大学の学生たちが訪れ交流を行ったときのこと。

「日本の文化のことを教えてもらいました。東日本大震災についても話をしていたことを覚えています。そのプログラムで言いたいことをうまく伝えられなかったことが悔しかったんです」。

日本の大学生などとの交流を通じて日本への興味は強くなり、勉強に身が入るようになった。すると語学力はめきめき上達。「本当は日本の大学に進学したいくらい、日本のことが好きになっていた。だけどお金もかかることだったので、日本語学科のある台湾の大学に進学しました」と話す。

歌うことが好きで、バンドのボーカルをしていたという

大学時代に留学、そして南三陸でインターンを経験

大学時代には、念願だった日本への留学を経験した。「熊本大学に行っていましたが、気候も台湾と似ているし、食べ物が何でもおいしかったですね。嫌いなものはないので、なんでも食べました。馬刺しとかも好きでしたね」と笑う。

留学期間中には日本各地を旅行した。九州はもちろん、関西や関東、北海道など各地を訪れたという。持ち前の明るさと異国の地でも臆せずコミュニケーションを図ることができる柔軟さで日本を満喫する日々を過ごしていった。

こうした充実した留学時代を通して「日本で働きたいという意識が芽生えていきました」と話す。大学院進学か、就職かそんな岐路で悩んでいたころ、偶然目にしたのが大学で募集していた、南三陸町でのインターンシップの案内だった。留学していたころも東北にはあまり関わりがなく、知らなかった土地だという。しかし先生からのアドバイスもあり、「やってみよう!」と南三陸町でのインターンシップを決断した。

人の優しさに触れ、感動した南三陸滞在

震災で大きな被害を受けた南三陸町には、台湾から多額の寄付が寄せられた。2015年に再建した南三陸病院の建設費の22億円が台湾からの寄付金によるもの。こうした縁から町では相互交流が続き教育旅行の受け入れや、インターンシップの受け入れを行ってきた。

はじめてのインターンシップの実施となった2016年夏に事業に参加した陳さんは、南三陸町観光協会で2ヶ月間のインターンシップを経験した。

「翻訳作業や情報発信事業など、観光関連の仕事を担当しました。なによりも心に残っているのが、ホームステイ先との現地の人とのふれあいです。町民のみなさんの温かさに惹かれました。その優しさはインターンシップが終わったあとも忘れることはなかった」と振り返る。インターンシップ終了後も、個人的に南三陸町を訪れるなど、その想いが冷めることはなかった。

「2016年末で移転のため営業を終了した仮設のさんさん商店街。その最後の営業日に、インターンシップ時代からお世話になっていた志のやさんでご飯を食べられたことは今でもいい思い出です」

台湾と南三陸の架け橋へ

大学卒業後、兵役のため1年間軍隊に入っていた陳さん。その兵役を終えるころ、南三陸町からオファーがあった。

「言語の不安などもあり1週間は悩みましたが、日本に行って働きたい、という想いが強かった。両親は台湾で仕事をしてもらえれば……と話していましたが、大好きな町で働けるチャンスはなかなかないと思うので、観光協会で働くという決断をしました」。

6月から勤務が始まった南三陸町観光協会では国際交流推進員として、よりいっそう台湾との架け橋となっていくことが期待されている。「もっと教育旅行をこの町に誘致したいし、今はまだ実現できていない取り組みとして、南三陸町の学校も台湾に行かせたい。一方通行ではない相互交流を促していきたい」と意気込む。

今年もまた台湾の学生が南三陸町で2ヶ月間のインターンシップを実施。台湾の学生が町内の各事業所にて業務体験を行う。さらに、7月15日(日)と8月11日(土)には「台湾DAY」が企画されている。台湾色に染まる南三陸の夏が始まろうとしている。

陳さんの日本語ネームは、高校時代に抽選で決まったという「太陽」。台湾と、南三陸の架け橋となり、それぞれの未来を明るく照らし出す「太陽」へ――。太陽くんの活躍が台湾と南三陸の絆をより強固に、より深めていく。

国際免許を取得し、車も手に入れた陳さん。「東北はまだ訪れたことがないところも多いのでいろいろなところに行ってみたい」

いいね!して
南三陸を応援

フォローする