スクラップし続け6年。まもなく100冊に/越後圭子さん

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南三陸の研修宿泊施設「南三陸まなびの里いりやど」の交流スペースの本棚にみっちりと並んでいるスクラップブック。ここには被災地に生きる「人」の記事が収められています。震災直後から6年以上続けられ、まもなく100冊を迎えるこのスクラップブックを寄贈した越後圭子さんに話を伺いました。

宿泊研修施設「いりやど」に寄贈されたスクラップブック

南三陸の里山、入谷にある宿泊研修施設「南三陸まなびの里いりやど」。そこに東日本大震災以降、復興へと向かう東北各地の状況が書かれた新聞記事がスクラップされたファイルがあります。震災直後から今に至るまで続けられているスクラップブックの数は、4/17時点で、なんと98冊。このスクラップブックを寄贈していただいたのは、東京在住の越後圭子さんです。震災時も東京で会社勤めでした。

「最初はただ茫然と被害状況の大きさを眺めていました。しかし、次第に新聞を通して被災地の方々の声が届くようになると、気になった記事をノートに張っていくようになったのです」

被災地で生きる「人」の記事を集め続ける

スクラップブックの最初の1ページ目は2011年3月15日の記事。以来6年以上、目についた記事をスクラップしていくことを日々の日課としてきました。越後さんが追いかけていったのは、被害状況を伝えるような記事ではなく、困難に直面しながらも前向きに、ポジティブに挑戦をし続ける「人」の姿でした。

「福島、宮城、岩手の記事で人の名前が出ている記事を中心に集めていきました。スクラップを続けていると、南三陸の◯◯さんだ、1年前にも出ていたよなって。こんな変化があったんだという風に成長をいっしょに追いかけているような気分になります。新聞で追いかけていくうちに、本人に会いたくなって、実際に会いに行った人もいるんですよ」

とある日のスクラップページ。さまざまな「人」が中心にスクラップされているのがわかる

たまたま出会った「いりやど」に寄贈

「最初からどこかに寄贈しようと思っていたわけではなく、ただ自分の趣味でした。しかし続けていくうちに冊数も40冊くらいになってきて、部屋に置いておくのももったいないかなと思ったんです。どこか引き取ってくれるところないかなと、スクラップブック数冊を携えて、バイクで東北沿岸部を走っていました」

そんなときに偶然出会ったのが、現在「いりやど」の理事を務める阿部忠義さん。2013年の春のことでした。当時、宿泊研修施設「南三陸まなびの里いりやど」がオープンしたばかり。首都圏の大学生や、企業などが集う宿泊施設「いりやど」は、「せっかく手放すのなら、町民はもちろん、外から来た人など多くの人に見てもらいたい」という越後さんの希望とも合致。それまで作成されたファイルが寄贈され、追加されたスクラップブックも、随時「いりやど」に届けられるようになりました。

以来、多くの宿泊者や利用者が、そのスクラップブックに目を通し、いまや、貴重な財産と呼べるものになりました。

研修などで訪れる人にとっては貴重な資料になっている

100冊でひと区切り

「自分のできる範囲で、できることを」と、何気なくスクラップをはじめてから6年。

「100冊でひと区切りかなと思っています。まさかこんなに続くとは思っていなかったですからね」

スクラップは終わっても、越後さんと東北の人たちとの関わりは終わることはありません。「あのとき生まれた子どもたちが、今年小学校へ入学。中学生だったり、高校生だった子どもたちが立派に社会人をやっている姿を見るとうれしくなりますよね。6年でこれだけ人生が変わったのだから、これから先もどうやって変わっていくのか追っていきたいですよね」

震災以降、多くのボランティアとともに歩んできた南三陸町。そこにはハード面での関わりもあれば、ソフト面での関わりもあります。6年という月日で重ね上げてきた100冊ものスクラップブックは、多様な人との関わりのなかで成長する南三陸のひとつの姿のようでした。

まもなく「ひと区切り」の100号を迎える

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1988年埼玉県生まれ。学生時代はアフリカや中東、アジアを旅したバックパッカー。卒業後は、広告制作会社でエディター・ライター業を経験。2014年に取材でも縁のあった南三陸町に移住。南三陸をフィールドにした研修コーディネートを行うかたわら、食・暮・人をテーマにしたフリーランスのライターとして活動している。