「町が元気になるように」の願いを込めて/保呂羽神社春季例祭

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南三陸で紡がれている郷土芸能を紹介する連載「願いと祈り~南三陸で紡がれる郷土芸能~」。今回は、4月に行われた保呂羽(ほろわ)神社春季例祭を紹介します。復興工事、人口減少など課題に直面しながらも、「町が元気になるように」の願いを込めて、伝統を継承しています。

作物を育み、子どもの健やかな成長をもたらす保呂羽の神

4月26日(水)南三陸町志津川地区において、保呂羽(ほろわ)神社春季例祭が執り行われました。保呂羽神社は、約1,200年の歴史を持つ由緒ある神社であり、志津川、戸倉、入谷の境界に位置する保呂羽山(372m)の頂上に社殿があります。

保呂羽神社にまつられている神様は、大宣都比売神(おおげつひめのかみ)という女性の神様であり、「保食神」(うけもちがみ・食べ物を保つ神)、および「子育ての神」であると伝えられています。作物を育み、子どもの健やかな成長をもたらす、ありがたい神様です。

祭日は旧暦で行われており、4月と10月の26日に、神輿(みこし)が山に登ります。

大きな流れとしては、社殿における神事の後、「法印神楽奉納」、「祝詞奏上」、「お祓い」、「玉串奉奠」、「氏子礼拝」、その後 神輿が保呂羽山を下り、古峰社に納められることとなります。この日は朝から、山頂の保呂羽神社に氏子の方々や、町内外の有志の方々も含め、20名以上の方々が参列しました。

保呂羽神社春季例祭「法印神楽」

時代に合わせて、変化を伴いながらも継続

上山八幡宮の宮司工藤庄悦さん、妻の工藤真弓さん、そして地元の氏子の皆様が、慌ただしくも穏やかに、そして和気あいあいと準備が進んでいきました。勝手の分からない私は、荷物運びや、薪ひろいなどささやかながらお手伝いさせていただきました。神事を終えた後、花形である神楽の奉納が行われました。

2つの大太鼓のリズムにあわせ、躍動感溢れる演舞を披露して頂いたのは、石巻の演者の方々。以前は南三陸町内の神主による奉納が行われていたそうですが、現在は出張でお願いしているとのこと。参列者の方々曰く、町内で神楽の再興を願う声もあるとのことで、その際は別の機会に是非取材をさせて頂きたいと思います。

神楽奉納が終わり、いよいよ神輿渡御です。神輿行列は天狗の面をかぶった従者を筆頭に、専用の白装束を身にまとい、担ぎ手を含めて10名前後で行う儀式です。この日は駐車場まで一旦神輿を運び、その後は車で集会所へ運ぶ段取りでした。

取材の身でありながら、なんと私も担ぎ手の一人として参加させて頂くという貴重な機会を頂き、装束の着付け等を教えて頂きながら、神輿を担ぐこととなりました。肩に感じる重みと質感、漆の香りを直に感じ、身の引き締まる思いでした。本来は、地元(保呂毛)の二十歳を迎えた若者によって担がれていたそうです。

石巻法印神楽奉納 保呂羽神社前にて

「地元が、そして町の人々がもっと元気になるように願いを込めて」

その後集会所へ神輿を一旦納め、直会(なおらい:祭事後の神酒・供物を下げた宴会)が行われました。僭越ながら私も参加させて頂き、氏子の方々から震災前の催事の様子など、貴重なお話を聞かせて頂きました。

東日本大震災発生以前は、例祭の神輿渡御は保呂羽山山頂の保呂羽神社から志津川の中心市街地を通り、約5km離れた上山八幡宮に奉納されていたそうです。震災後は復興工事のため全区間を渡御することができず、一部車両による移動を余儀なくされ、場所も仮設商店街の中などで行なってきたとのこと。

「地元が、そして町の人々がもっと元気になるように願いを込めたい。最近は参加者が減り、神輿の担ぎ手や子どもの数が減ってきているが、できる限り伝統を継承していきたい」と話します。

 

直会(保呂毛集会所)

困難な条件での開催にも、終わったあとにはみんなが笑顔に

直会の後、再び神輿渡御の再開です。地元の若手祭事支援団体「五社之氏子青年会」のメンバーが担ぎ手や旗持ちを担い、あいにくの雨天の中も意気揚々と行列が進んでいきます。細道の中、渋滞が発生するトラブルがありながらも、無事に移転後のさんさん商店街での奉納も終え、神輿は上山八幡宮に戻され、あらためて直会が行われました。

参加者の減少や復興工事など、諸事情による数々の制限がありながらも、無事祭事を終えた関係者の方々の笑顔は印象的であり、私はここでペンを置き、共に歓びを分かち合うことといたしました。

同集会所内 神輿に参拝する地元中学生

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