助け合い、笑い合える環境を作るお手伝いが、社協のお仕事

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南三陸町社会福祉協議会のみなさん (左から2番目:髙橋吏佳さん)

震災でバラバラになってしまったさまざまなコミュニティ。災害公営住宅がすべて完成し、これからそこで生まれるあらたなコミュニティもあります。今回は震災前からずっと地域のコミュニティ活動をサポートしてきた社会福祉協議会の髙橋さんにお話しを伺ってきました。

そもそも社協ってなに?

「社協って具体的に何をしているの?」と聞かれると、どこから話そうかと困る質問だと苦笑いで話す女性。南三陸町社会福祉協議会、地域福祉係長 兼 被災者生活支援センター事業の課長である髙橋 吏佳(りか)さんです。

社会福祉協議会(以下、社協)に入って25年。社協一筋、快活でパッとした笑顔が印象的です。

私だけかもしれませんが、震災が起こるまで、社協という組織にあまり馴染みがなく、今もまた実際の内容をはっきりとは知りません。

そこで質問をぶつけてみたわけですが、多岐にわたる活動があり、働くご本人も説明が容易でないそう。

デイサービスやホームヘルプサービスなどの介護保険事業、住民の自発的ボランティア活動のサポート、地域サロンや生涯学習のコンサルティング、ボランティアセンター運営、仮設住宅の見守り、LSA(ライフサポートアドバイザー)による住民支援。

以前は高齢者や母子家庭、障がい者など社会的に支援を必要とする方々への関わりが主でしたが、様々なニーズに応じ現在では住民すべてが対象だといいます。

そんな現代に社協は「住民自らがその人らしく輝きながら生活できる社会」をビジョンに一人ひとりの生活の質の向上を目指し、介護福祉事業、地域福祉事業合わせて68名の職員でこの町を見守り、縁の下の力持ちとなっています。

震災がもたらしたコミュニティの変化とこれからの課題

町の中には様々な人のつながり、コミュニティがあります。

各地域のサロン活動、女性の手習い活動やグラウンド・ゴルフ、地域間交流事業など。近所に住む人たちで地域の環境や安全、暮らしやすさを守る行政区単位の地域活動もその一つです。しかしその行政区は震災によって大きく変わりました。物理的に住宅地がまるごと流された地区もあり、震災後の混乱とショックで心のつながりが解体してしまったところもあります。

活動していた場所が流されたサークル活動。それどころでなく、すべてがストップしたまま再開できないでいるものも多い現状。そんな現在の課題についても髙橋さんに伺ってみました。

地域福祉係が力を入れている活動の中に「コミュニティ作り」があります。

「ひとりにしない、ひとりじゃない、一人ひとりが生きがいをもって暮らせる」

社会実現のためにさまざまなコミュニティは欠かせないのです。また、町内では昨年度までにすべての災害公営住宅が完成しましたが、入居も済んでおらず、自治会発足はまだというところが結構ある。

そんな中でも「何かしたい」「こんなことしたい」という小さな声が聞こえてきました。

でもそれを行動に移す方法が分からない。みんなをまとめて、引っ張ってくれるリーダーがいない。

こういった声を拾い上げ、住民が自分たちで行動し、生きがいを感じられるようなコミュニティを町の中にたくさん作っていくことが課題、そしてそこに必要なサポートをするのが社協だと髙橋さんはお話ししてくださいました。

病院が完成し、役場もまもなく出来上がる今、ハード面での再建は大方見通しがたったかもしれないが、住民みなが本当に落ち着いて暮らせるわが家(地域)を手に入れるのはむしろこれから。

関わり合い、助け合い、笑い合える環境ができて初めて再建なのだと。

町内で行われている様々なコミュニティ活動と被災者生活支援センターの目標

これからの南三陸の夢 高齢者のお見合いパーティー?!

髙橋さんに「今後どんな町になったら嬉しいですか?」と伺ってみました。

「つながること。みんなが誰かとつながり、自分の居場所のある町になってほしい。農業の人も、漁業の人も、じいちゃんもばあちゃんも老若男女関係なくつながり、みんながそれを感じられる町になってほしい」と。

すっかり新住宅地になった志津川沼田地区、その一角に2018年4月にオープン予定の「地域ささえあいモール(仮)」。なんと社協みずから借金をして建設することになったこの施設。

「多額を投資して“建物”だけで終わる事のないよう、住民が居心地の良い場所になってほしい!そんなことを社協スタッフが共有しています」と髙橋さんはおっしゃいます。

この施設は菜園を作り、野菜や花を育てて収穫物であおぞら市を行ったり、夏はビアガーデンになったり、住民が主体となって様々な活動が起こる場所になる予定です。

5月21日に行ったイベントで集まった147名の住民でわくわくするようなアイデアを出し合い、その案にはちょっと驚くものも。

高齢者の方から多かった意見は、意外にも「婚活パーティーをしたい」だったそう。

パートナーと死別されている方など高齢者の方が誰かと出会いパートナーを見つけたいと思っているようで、最初は髙橋さんも驚いたものの、住民からこんなに多い意見は無視できない、叶えるべきだ!と、実現に向けてみんなで動き出しているそうです。

でも、あくまで主役も主導も住民。社協は少しのサポートとアドバイス、という立ち位置です。

「みんなが自分たちの力でハッピーに暮らしている社会が理想で、そうなるために私たちは伴走者として活動しているんです」

みんながつながるために、きっとこれからもこの「地域ささえあいモール(仮)」からたくさんのコミュニティが生まれることでしょう。次はどんな面白いコミュニティが出てくるのか楽しみですね。

生きていれば必ず、困難に当たるときだってある。

実は髙橋さんも震災で大切な方を亡くされていました。自らも悲しみの淵にいるそんな時でも仕事を続けた髙橋さん。

「それは逆に仕事があったから、仕事で関わる住民の方たちからのエールがあったからやってこられた」と話します。

「あんだも頑張ってから、わだしも頑張る」

時に、被災者の方からこんな言葉をかけてもらうことがあり「やるしかない!」とどうにか踏ん張って来られたそう。

最後にこんなお話しを伺うまで、その笑顔からは悲しみのかけらも想像もできませんでした。

明るい、抜けるような笑顔と笑い声。その裏には深い悲しみと困難を抱えている髙橋さん。

「人は一見して悲しみや抱えている悩みはわからないもの。どんな人だって人生にはいい時も悪い時もある。だから一人ひとりとちゃんと向き合うことが大切なんです。」とおっしゃっていました。

「支え合い」という社協のお仕事が天職なのかもしれません。

伺えば伺うほど、その人生は正に波乱万丈、現在も新たな困難と試練の中にありながら前を向いて歩むことをやめない髙橋さん。

今後の目標を伺ったところ、子どもたちの成長を見守りながら、新たな資格取得を目指しているそう。パワフルな一面も女性らしいしなやかな考え方も、何よりもこの笑顔がきっとこの町の人を元気にしていることでしょう。

ハードからソフトへーー。大きな転換期を迎えた南三陸町の今。老若男女問わず、コミュニティを作る活動が町内各地で行われています。そんな各地の様子を、今後取材していきたいと思います。

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