「自然に寄り添う」生き方を貫く/阿部博之さん

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南三陸に生きる人を巡り、一巡りしていく連載企画「南三陸ひとめぐり」。第17弾は、入谷地区で農業を営む阿部博之さん。無農薬無肥料栽培など、自然と共生する農業に挑戦する阿部さんに話を伺いました。

震災後の出会いが「無農薬」のきっかけに

黄金色に輝く里・南三陸町入谷地区。今年の記録的な天候不順にも負けず、立派に育った稲の収穫をしているのは南三陸町入谷地区の専業農家・阿部博之さんだ。

りんご、桃、梨などの果樹、畜産、そしてお米と手広く農業に従事する。

なかでもお米の栽培は阿部さんの想いとこだわりが凝縮。無農薬、無肥料など、さまざまな挑戦を続けている。

阿部さんが「無農薬」と出会ったのは震災前。青森県のりんご農家、「奇跡のりんご」の木村秋則さんのことを知ったときだ。「それまでりんごにしろ、米にしろ、なんの疑いもなく、農薬を使うことが当たり前だと思っていた。こんな育て方もあるんだと興味がわいたのを覚えています」と話す。

阿部さんが農業を営む地域では、平成16年から米へのカメムシ被害を抑えるために、地域全体で田んぼへの農薬の散布を行っていた。「最初は効果があったのですが、続けていくうちにカメムシもその農薬に強くなっていったんです。1回では効かなくなって、2回、3回と増えていく状態でした」

そんななか発生した東日本大震災。さまざまな企業や個人の支援活動が南三陸に入る中で、阿部さんにとって大きな出会いがあった。全国から駆け付ける人々は、多くの「知」をもたらした。

「西日本で無農薬ササニシキを作っている農家がいることや、農業にテクノロジーが応用できることなど、震災後の出会いによって知ったことがたくさんある。そういった出会いがなければ、今のような農法に挑戦することはなかっただろう」と阿部さんは話す。

天候不順にも負けず順調に生長した米

南三陸の掲げる循環のまちづくりを農業で後押し

そうした出会いに背中を押されるように、震災後からはじまった無農薬栽培米への挑戦。「1年目はビギナーズラックか、うまくいったんだよね。でも2年目3年目と下降していって、4年目なんかはまったくダメで。5年目でようやく持ち直してきたかなという状態です。無農薬栽培はとにかく草との闘い」と話す阿部さん。

農薬を散布すれば雑草も減らせるし、防げる病気もある。それでも阿部さんが「無農薬」に挑戦するのは、震災後に町が掲げた、循環型のまちづくりに共感したからだ。

分水嶺に囲まれ、森里海がコンパクトにまとまった南三陸では、山と海そしてそれをつなぐ里のつながりが如実に表れる。

「南三陸が掲げる循環ということを考えると、できれば農薬などをなるべく使用しないということが、山も海も含めた全体の付加価値が高まることにつながるんじゃないかと考えたんです。この町の主産業は水産業。水産を豊かにするには山や農業をしっかりとやらなければいけないんですよね。だからこそ、できる限り水を汚さないで、きれいに保つことが大事なのかなって」

阿部さんの田んぼにはトンボやクモなど生き物が多い。生き物調査をイベントとして地域の子どもたちといっしょにやることもある。そこで見つかる生き物の数は研究者も驚くほどである。それは農薬を使わないでいるから、生きものがしっかりと成長できる環境にあるということの裏付けだろう。

阿部さんの田んぼにはトンボやクモなどの生物がいっぱい

病から奇跡的な復活を遂げた一年

挑戦を続ける阿部さんにアクシデントが襲ったのはちょうど一年前の秋。収穫作業の真っただ中、阿部さんは脳出血で倒れた。

命はとりとめたが、半身にしびれが残った。「入院中も農業のことで頭がいっぱいだった」という阿部さんは懸命のリハビリを実施。なんとか春の田植えに間に合わせた。しかも、これまで挑戦してきた無農薬栽培に加え、無肥料で栽培するという挑戦を秘めて田んぼへと戻ってきた。よりいっそう自然の力を生かした栽培への挑戦をすすめた一年。記録的な長雨や、台風の直撃など試練の多かった年だったが、稲穂が垂れ、黄金色に輝く季節を迎えた。

「一年前はまたこの光景が見られるとは思ってもみなかった。なんとかここまでこられてよかった」と、黄金色に輝くこの光景に、阿部さんは安堵の表情をみせた。

「お米があったから助かったといっても過言ではない」

「震災で気づかされたことって多いよなあ」としみじみと語る阿部さん。

南三陸町が甚大な被害を受けた東日本大震災。阿部さんの自宅や畑がある入谷地区は内陸のため被害は大きくなかった。震災がおこった当日、阿部さんは備蓄していた米で炊き出しを実施。震災の翌朝、自衛隊や消防の到着を前に、炊き出しのおにぎりをもって、消防団の仲間とともに沿岸部へと救助に向かった。

「津波で町全体がなくなってしまった。産業もなくなり、人もいなくなってしまった。そんな状況のなかでも助かったのは、米があったから、そして水があったからだと思うんです。それがこの町にとってなによりもの助けになった」

震災があったからこそ気づいた、お米の価値。そして、震災後の出会いによって気づかされた農業の持つより大きな可能性。その想いを胸に、阿部さんの挑戦は止まることはない。

その挑戦に触発され、無農薬での栽培に取り組む農家が増えてきた。

自然に寄り添って生きる――。それが南三陸町民があの大震災から学んだ生き方なのかもしれない。

豊かな田園風景が広がる南三陸町入谷地区

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ライター 浅野 拓也
1988年埼玉県生まれ。学生時代はアフリカや中東、アジアを旅したバックパッカー。卒業後は、広告制作会社でエディター・ライター業を経験。日本全国を取材で駆け回り、自然とともに生きる人々に感銘と同時に憧れを抱く。そして、2014年に、取材でも縁のあった南三陸町に移住。食・暮・人をテーマにしたライターとして活動している。